江戸の話、生業の話を紹介し続けているが、娼家について扱わないのを訝しむ向きもあろう。『守貞謾稿』では娼家は生業とは別に詳述されているから、生業の記事紹介を終えてから扱いたい。もっとも巷間、江戸の娼家については一家言ある方々も多いから、強いて紹介するまでもないのかも知れない。 とはいえ、娼家を全く扱わないのも手抜きの感がある。そこで洒落本『聖遊廓』を紹介し、お茶を濁そう。孔子・老子・釈迦等の聖が遊興する遊廓の話である。 緡蛮たる黄鳥丘隅に止る、とヾまるところにとヾまらざれば、鳥にだもしかじといふ、四角な文字の角取て、鳥は木に住む魚は水にすむ、人は情の下にすむと、臼つき歌にうたはすは、これも和国の道ならめ、廓の歌は客の浮気をたねとして、万のはうたとぞなれり、長歌、短歌、船歌、馬方、たけき悪者の心をやわらぐるも、ゆかりのつきの一ふしぞかし、さればこそ銀猫は抛(なげうて)ども、江口の君のなげぶしに