ここ数日、ニセ科学の本をどう分類するかについてはてなブックマークで話題になったので、それに関して書いておく。 前提として まず、図書館の分類は主題の正誤や善悪の価値判断を示すためのものではない*1。科学的に正しいかどうかによって分類を「自然科学」からはずすかどうかを決めたりはしない。 そうした判断を取り入れると、政治・思想・宗教あるいは科学的な異論を含め、無数の介入、バイアスの存在を許すことになるからだ。図書館ではID論の図書をキリスト教に分類せず、進化論の本として分類するし、偽史資料に基づいた歴史本もフィクションではなく歴史に分類している。ニセ科学の本だから自然科学の分類ではない分類にする、という単純な判断はしないし、すべきではない。 しかし、分類を検討しなければならない場合はある。 判断をする例 図書館が全く内容の判断をできない・しないというわけではない。何かを偽装したものに関しては、
神奈川県立図書館・神奈川県立川崎図書館の機能廃止・縮小問題を取り上げた神奈川新聞の連載は、非常に読み応えがあり、毎日楽しみにしている。 その連載の6回目(紙面では2月3日付け、カナロコ掲載は2月4日)で、次の箇所に目を引かれた。 都道府県立の図書館にとって「寄贈」の量と内容は決して見落とせない。社史研究家の村橋勝子さんは「図書館はお金を使うだけだと言われるけれど、実は同じぐらい稼いでいる」と強調する。 神奈川の場合、平成に入ってから23年間の平均値で、受け入れた資料のうち寄贈は県立図書館、県立川崎図書館ともに38%。年度によっては6割を超えたこともある。 それらの中には、書店に並ばない社史、自治体史、記念誌など貴重な本も多い。多様な資料を所蔵してきた信頼が、資料を新たに呼び込む。それが後の研究に役立つ。 http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1
少し思うところがあって、ポスト・モダン系、現代思想系の本を読んでいる。就職してからすっかりご無沙汰になっていたのだが、やはり学生時代に愛読していた仲正昌樹さんの解説に助けられながらではあるが。また思想系の本を手にとってみようと思った理由の一つに、例えば今自分がやっている図書館の仕事(集めたり残したりすること)は、哲学的にいってどういう風に基礎づけられるのか、という点があった。年末にポスト・モダンの歴史学批判に応える本を読んでいたせいもあるし、また人から強く慫慂いただいたためでもある。 現代ドイツ思想講義 作者: 仲正昌樹出版社/メーカー: 作品社発売日: 2012/02/25メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 51回この商品を含むブログ (13件) を見るロゴス中心主義批判、差異と戯れ、脱構築、ポストコロニアル状況での文化批評、道具的理性の批判、否定弁証法、公共圏。馬鹿だと思われな
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