横浜市教育委員会が市立中学校で配布した2012年度の副読本「わかるヨコハマ」をめぐり、騒動が起きている。関東大震災時の朝鮮人虐殺の記述について、一部市議が「歴史認識などに大きな影響を及ぼしかねない」と反発。市は手続きの不備などを理由に関係職員を処分した。この対応に、複数の研究家や市民団体が「歴史的事実をふまえず、議会の一方的な批判に従うのは教育の中立公正への信頼を損ねる」と抗議の声を上げている。 一部市議が問題としたのは、東京では国家権力側の軍や警察が虐殺の主体だったとする内容の記述。 これまでの副読本では、2001年度まで軍と警察を虐殺の主体としたが、02~07年度は「積極的関与を示す資料がない」ことから軍隊を外し、09~11年度は警察も外した。それが12年度の改訂で両方“復活”した。 1997年に見つかった関東戒厳司令部の公文書などから、軍隊と警察の関与は明らかだ。政府の中央防災
誰もが体感していたネット上(ニコ動)での「親自民」っぷりをさるブログが数字で指摘した。 ニコ割アンケートと実際の投票との差にみる、ニコニコ動画の特殊性 ここでひとつ「親自民」であるネット世論の原因を考えてみたい(下にまとめた図あり)。 マスメディアは本来政府批判にこそ意義がある ジャーナリズムの存在意義は反権力にある。なぜなら権力は強い情報力を持っており、政府は都合のよい情報だけを国民に提供する傾向にあるからだ。ここで登場するのがジャーナリストで、彼らの役割は独自に情報を集め、情報を発信し、真に必要な情報を国民に与えることである。必然的にジャーナリズムは反権力・反体制的になるわけだ。 上のロジックは歴史的に見ても正しく、ジャーナリズムは権力との戦いの歴史であった。日本でも明治時代の新聞紙条例に始まり、ジャーナリストは何人も投獄された。日本語ではマスメディアの役割を「社会の木鐸」と表現するが
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