茨城県日立市幸町の日立製作所電力システム社日立事業所敷地内で見つかった戦時中の不発弾の処理作業が23日行われ、陸上自衛隊の不発弾処理隊が無事撤去した。 市によると今回見つかった不発弾は戦時中に米軍が使用した1トン爆弾。工場周辺には1945年6月の空襲で1トン爆弾が数百発投下され、73年、89年、92年にも不発弾が見つかっている。 23日は不発弾の半径500メートルが避難区域に指定された。エリア内に住む約1600人のほとんどは外出したが、61人が市が避難所として指定した中学校などに向かった。また、JR常磐線が処理作業中の電車の運行を見合わせ、近くを通る路線バスも迂回(うかい)をした。 処理作業は30分ほどで完了。陸自第102不発弾処理隊の高橋利仁1尉は「信管のねじを回すのに力が必要だったが、順調に進めることができた」と振り返った。現場から約700メートル離れた体育館で陣頭指揮に立った吉成明市