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近代と文化に関するorticaのブックマーク (2)

  • 「日常的抵抗」論の可能性──異種混淆性/脱領土化/クレオール性再考── - garage-sale

    1.質主義批判と異種混淆性論 ポストモダン人類学と呼ばれる人類学の潮流は、文化質主義批判から始まったと言えるでしょう。質主義とは、文化によって規定された人間分節(人種や日人やマサイ族といった民族、あるいは女性やゲイなど、ジェンダーやセクシュアリティに結びつく分節)をそこに帰属する人々の変わらぬ質と捉えるとか、先住民族のエコロジカルな文化などというときの文化のカテゴリーを土地や民族と質的に結びついたものと見なす思考を言います。そのような質主義への批判は、文化の「異種混淆性(ハイブリディティ)」と「脱領土化( deterritorialization )」(ガルシア=カンクリーニの定義によれば、「文化と、地理的・社会的領土[テリトリー]の『自然』な絆の喪失」)への肯定的評価という論点を伴っていました。つまり、「あらゆる文化は構築されたものであり、異種混淆的であり、土地を離れて移

    「日常的抵抗」論の可能性──異種混淆性/脱領土化/クレオール性再考── - garage-sale
    ortica
    ortica 2012/09/15
    [h:keyword:機械的な異種混淆性]
  • 帝国の中心で自由主義を夢見る先に - 雑種路線でいこう

    残念なことに日社会では理知的でフラットな議論は相手を選ばないとできない。そしてブログは公開する相手を選べない。Webがそういう同調圧力を飛び越えて個を確立するツールとなることを期待してはいるが、今のところ日語圏ではネット上に別の世間をつくって新たな同調圧力を増幅させているかにみえる。 例えば日語のブログで或る予算の使い途について課題を整理しつつ建設的な提案をしても「このエントリーを財務省が読んだら仕込んでいる政策玉に予算が下りない」とか勝手に慌てて国会議員に報告がいき、取引先のお偉方から勤務先の役員に「こんなことを書く社員を放置していると、御社はこの案件から外されますよ」とか丁寧にご注進して下さる。それが日的ムラ社会の現実だ。 たまたま話の分かる役員なら「ちゃんと個人的な意見と断っているし、正しい当たり前のことしか書いてないじゃん」で済むとして、普通の日企業じゃ「正しいか否かの問

    帝国の中心で自由主義を夢見る先に - 雑種路線でいこう
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