詩人、童話作家の宮沢賢治の来蘭100周年を記念した歴史探訪ウオーク「賢治が見た室蘭」(室蘭ウオーキング協会主催)が16日室蘭市内で行われた。約140人の参加者は修学旅行で室蘭の地を訪れ、日鋼室蘭など見学した賢治の当時に思いをはせながら室蘭の魅力を再発見していた。 賢治は1913年(大正2年)旧制中学校5年生の時に修学旅行で来蘭した。旧室蘭駅から日鋼室蘭を見学後、1泊し定期船で森町へ向い大沼公園、函館を経て帰途に就いたとされる。 この日のウオークは旧室蘭駅舎を発着点に日鋼室蘭などを巡る往復6・5キロのコース。室蘭地方をはじめ苫小牧などから参加した。 一行は日鋼室蘭構内では同社社員の説明を受けながら、明治に建造された旧火力発電所や第1熱処理工場、瑞泉閣などを見学した。参加者は賢治の足跡をたどりつつ、普段は目にすることのできない光景に見入っていた。 参加した沼田恵子さん(71)=室蘭市母恋
日本初の公害とされる足尾銅山鉱毒事件の解決に奔走した政治家、田中正造(1841〜1913年)が亡くなって来年でちょうど100年。鉱毒事件と東京電力福島第1原発事故の類似性に着目し、正造の思想や生き方から東日本大震災後の日本社会の在り方を探ろうと改めて注目が集まっている。【足立旬子】 物質上、人工人為の進歩のみを以てせば社会は暗黒なり。デンキ開けて世間暗夜となれり。 亡くなる約1カ月半前に正造が日記に書いた言葉だ。 菅井益郎・国学院大教授(日本経済史)は「鉱毒事件を通して正造は、近代とは何か、技術とは何かを徹底的に考え抜いた。技術の進歩にのみ頼っている社会は人間を滅ぼす。技術をコントロールするモラルや哲学が必要と警鐘を鳴らした」と解説する。 電気が普及し始め、誰もが豊かになると期待した時代に、正造はなぜ現代文明を痛烈に批判したのか。 近代技術の粋を集めたはずの足尾銅山から流出した鉱毒は、渡良
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