十四日に亡くなった三国連太郎さんは一九五〇~六〇年代の日本映画黄金期に活躍。その後も「釣りバカ日誌」シリーズの社長役などで人々を魅了する一方、徴兵の経験から反戦の立場を貫いた。 「手がアップになるから爪の色を気にされていた」。三国さんは遺作「わが母の記」(二〇一二年)で老父を演じたが、原田真人監督は撮影時をこう振り返る。細部にこだわる三国さんらしいエピソードだ。 「釣りバカ日誌」を三本撮った本木克英監督は「三国さんの台本は書き込みで真っ赤だった」。せりふもどんどん変え、最良の表現を求めた。喜劇がいかに難しいか繰り返し語った。「『釣りバカ』は一本でやめるつもりだったが、喜劇の魅力にひかれていったようです」と言う。