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オーストラリア海軍提供による豪シドニー(Sydney)北部沖の海底で発見された旧日本軍の特殊潜水艇の残骸の写真。内部には日本兵2人の遺体があるとみられている(2007年5月21日撮影)。(c)AFP/AUSTRALIAN NAVY 【3月14日 AFP】オーストラリア・シドニー(Sydney)湾で2006年に発見され豪当局が戦争遺物として保護管理していた旧日本軍の特殊潜水艇の残骸が、何者かによって荒らされ、パーツなどが持ち去られていることが分かった。豪環境省が14日、発表した。 この小型の潜水艇は第2次世界大戦中の1942年、旧日本軍がシドニー港に停泊中の連合軍艦船を狙った奇襲作戦で使用されたもの。作戦には3隻が投じられ、うち2隻は作戦に失敗し自爆したが、残る1隻は2006年にスキューバダイビング中のダイバーらがシドニー北部沖で発見するまで行方が分からなくなっていた。 豪当局は見つかった潜
1942年2月、オーストラリア軍の通信兵としてシンガポールに駐留していた著者は、侵攻してきた日本軍の捕虜となる。ビルマ(ミャンマー)やタイで飛行場の造成などに投入された。捕虜の4人に1人が命を落としたと言われる過酷な泰緬(たいめん)鉄道の建設にも従事した。そして45年、大牟田の三池炭鉱へ送られる。 出水が止まらず、腰まで水につかりながらの採炭、しばしば襲う落盤、貧しい食事、監督の軍人は何かとこん棒で殴りつけ、命令に反したとみるや独房に送り、3日も4日も正座や気を付けをさせる。肺炎で命を落とす者、精神を病む者が続出する極限状態だった。 3年半に及ぶ捕虜生活をつづった本書は、いつか〈日本軍を地獄へ落とす〉ためひそかに書き続けていた著者と友人の日記がもとになっている。タイの収容所を離れる際に井戸のそばに埋め、戦後、仲間が掘り出して届けてくれた日記も含まれるという。 原著は戦争の記憶がまだ生々しい
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