1942年2月、オーストラリア軍の通信兵としてシンガポールに駐留していた著者は、侵攻してきた日本軍の捕虜となる。ビルマ(ミャンマー)やタイで飛行場の造成などに投入された。捕虜の4人に1人が命を落としたと言われる過酷な泰緬(たいめん)鉄道の建設にも従事した。そして45年、大牟田の三池炭鉱へ送られる。 出水が止まらず、腰まで水につかりながらの採炭、しばしば襲う落盤、貧しい食事、監督の軍人は何かとこん棒で殴りつけ、命令に反したとみるや独房に送り、3日も4日も正座や気を付けをさせる。肺炎で命を落とす者、精神を病む者が続出する極限状態だった。 3年半に及ぶ捕虜生活をつづった本書は、いつか〈日本軍を地獄へ落とす〉ためひそかに書き続けていた著者と友人の日記がもとになっている。タイの収容所を離れる際に井戸のそばに埋め、戦後、仲間が掘り出して届けてくれた日記も含まれるという。 原著は戦争の記憶がまだ生々しい