世界の埋もれた映画の上映運動を主宰してきた岩波ホール(東京都千代田区)総支配人で、文化功労者の高野悦子(たかの・えつこ)さんが九日午後二時四十一分、大腸がんのため死去した。八十三歳。旧満州(現・中国東北部)生まれ。葬儀・告別式は近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く。喪主はめいで、岩波ホール支配人の岩波律子(いわなみ・りつこ)さん。 日本女子大(社会心理学専攻)卒業後、一九五二年に東宝文芸部に入社するが、映画監督を目指し、パリの高等映画学院(イデック)に留学。帰国後は、テレビドラマのシナリオを書き、六四年に芹沢光治良・原作「巴里に死す」を脚色・演出した。 六八年に岩波ホール創立と同時に総支配人に就任。当初は音楽や芝居も上演したが、七四年、故川喜多かしこ氏とともに世界の埋もれた映画を発掘するエキプ・ド・シネマ(フランス語で映画の仲間の意)運動をスタート。インドのサタジット・レイ監督「大地