タグ

ブックマーク / d.hatena.ne.jp/ykurihara (2)

  • マーク・ロスコのあるカフェ - おまえにハートブレイク☆オーバードライブ

    オシャレそうに聞こえるかもしれないけどドトールのことだ。地元幡ヶ谷の駅前に広めのドトールができて、今日たまたま入ったのだが、飾ってある絵が全部、マーク・ロスコの安っぽいプリント、というよりポスターだった。このポスターを初めて見たのは、虎ノ門のエクセルシオールでのこと。半年くらい前か。最初は気づかず、ぼーっと空を眺めているうちに視界に入ってきたのだがそれでもわからず、なんか見たことある絵だなあと思ってしげしげ眺めてようやく、「あ、ロスコじゃんよ、これ」と複雑に驚いたのだった。その後、中野のエクセルシオールにも飾られているのを発見、なるほど、このカフェは系列全店をロスコで統一しているのかもねと見当がついたのだけれど、ドトールにもあるということは、ドトール・チェーンのコーヒー屋にはあまねくロスコのポスターが貼ってあるのかもしれない。しかしロスコがインテリア・アートねえ。グーグルさんにおうかがいを

    ortica
    ortica 2015/02/23
  • 2012年後半の純文学系小説〜「一人称と三人称」問題について - おまえにハートブレイク☆オーバードライブ

    2009年の『週刊読書人』以来3年ぶりに、『文學界』「新人小説月評」で文芸時評みたいなことをやったので(2012年7月号〜12月号)、気がついたことのメモなどを。半年程度なので俯瞰的な傾向もへったくれもないのですけれど、複数の作家が、同じような手法を採用しているのが目についたのでその件について。一言でいうと、それは、人称あるいは視点の問題である。一人称と三人称の交換可能性を追求した作品、あるいは一人称と三人称は交換可能であるという前提で書かれた作品、もしくは一人称を三人称のごとく客体化する作品、はたまた一人称が分裂したりする作品という感じだろうか。少なくとも3年前の09年には、こうした試みはほとんど見られなかったから、ここ数年で開発・採用が進んできた技法であるといってよいと思う。作品にそって具体的に見てみよう。顕著なのは、山下澄人「トゥンブクトゥ」(『文學界』12月号)と滝口悠生「わたしの

  • 1