今から20年前の1997年8月1日、ひとりの男の死刑が執行された。名前は永山則夫(享年48歳)。1968年、わずか26日間で計4人を射殺した「連続ピストル射殺事件」の犯人だ。 事件当時19歳だった永山少年は満足に学校に通ったこともなかったが、猛勉強の末、『無知の涙』(1971年)などで知られる獄中作家としても活動。被害者遺族に印税を届けた(4人のうち2人の遺族は受け取らなかった)。 そんな永山がずっと傍らに置いていたものがある。それは自らの悲惨な生い立ちと犯行に至る心理過程を綴った「精神鑑定書」だ。 意外なことに、永山の裁判は、常に死刑判決だったわけではない。東京高裁の二審では無期懲役が言い渡されている。その要因になったのが、この精神鑑定書だという。 二審判決は、犯行原因の一端は福祉政策の貧困にあると指摘。また、永山の精神的未熟さは18歳未満の少年と同一視できると認定し、少年法の理念などに