大坂・大阪・おおさか―。この地名のいわれは、いろいろな説がありはっきりとしていませんが、 室町時代、石山本願寺を建てた蓮如上人の御文章に書かれた「攝州東成郡生玉之庄内大坂」が、 文献に残る最古のものとされています。当時の文献には大坂とも小坂とも記され、 いずれもオサカと発音されていたと思われます。 江戸時代には、大坂三郷というように大坂が多く使われており、大阪も混用されてきましたが、 明治10年ごろになって、ようやく「大阪」に落ち着いたようです。 みおつくし(澪標)というのは、古歌にもよまれているように、昔、 難波江の浅瀬に立てられていた水路の標識です。 摂津名所図会にはクイの上部に板をX型に打ちつけたものだけが見られますが、 天保年間の絵図には今の市章と同じ形をしたものが描かれています。 大阪の繁栄は昔から水運と出船入船に負うところが多く、人々に親しまれ、 港にもゆかりの深いみおつくしが
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