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ブックマーク / kambun.jp (4)

  • 山岡鉄舟 七言対句 日本漢文の世界 kambun.jp

    英傑の遺墨が語る日の近代 山岡高歩(鉄舟) 七言対句 やまおか・たかゆき(てっしゅう) 1836-1888。幕臣。のち明治天皇の侍従となる。 [解読] 幅巾藜杖聊三径 明月清風自一丘 (七言対句) 鉄舟 高歩 [訓読] 幅巾(ふっきん)藜杖(れいじょう)三径(さんけい)を聊(りょう)し、 明月(めいげつ)清風(せいふう)一丘(いっきゅう)自(よ)りす [語釈] 幅巾(ふっきん) 「幅巾」隠者が被る頭巾。バンダナのようなもの。 藜杖(れいじょう) あかざで作った杖。軽いので老人が用いる。 聊(りょう)す ここでは、聊浪、すなわちぶらぶらすること。 三径(さんけい) 隠者の居所。古代中国・漢の時代の隠者・蒋詡の家に三つの小路(径)があったことから。陶淵明の『帰去来辞』にある表現。 明月(めいげつ)清風(せいふう) 「明月清風を払い、清風明月を払う」のように、対比して秋の清々しさを表現する語。

  • 岩倉村瘞髪碑解説 日本漢文の世界 kambun.jp

    日下部鳴鶴筆『岩倉村瘞髪碑』拓 上記拓の一部。非常に立派な字です。 岩倉村瘞髪碑は、井上毅(いのうえ・こわし)子爵の数少ない漢文作品の一つです。井上子は、木下犀潭(きのした・さいたん)門下のエリートで、漢文の造詣も深いのですが、むしろ和文の振興に積極的で、漢文の作品はあまり多くはありません。しかし、『梧陰存稿』に収められた少数の漢文作品は、どれも質が高く、同時代のなかで群を抜いています。これは、井上子が政府の要人として、国家経営に深く関与していたことも関係しているに相違ありません。「岩倉村瘞髪碑」の文も実に名文です。 岩倉公は、明治維新の元勲の一人であり、旧五百円札に肖像が刷り込まれていたため、中年以上の方には身近な存在だと思います。 岩倉公は、もともと公武合体派であったため、幕府の工作に協力し、皇女・和宮(かずのみや)の降嫁の実現に貢献しました。しかし、これが「佐幕」(幕府を助けるこ

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  • 日下部鳴鶴 五言絶句 日本漢文の世界 kambun.jp

    英傑の遺墨が語る日の近代 日下部東作(鳴鶴) 五言絶句 くさかべ・とうさく(めいかく) 1838-1922。明治大正期に書道界に君臨した大書家。 [解読] 欝律史籀鼓 六書淵源開(韻) 篆隷楷行草 尽従此中来(韻) (五言絶句。平声灰韻) 石鼓文 鳴鶴仙史 [訓読] 欝律(うつりつ)たり史籀(しちゅう)の鼓(こ) 六書(りくしょ)の淵源(えんげん)開(ひら)く 篆(てん)・隷(れい)・楷(かい)・行(ぎょう)・草(そう) 尽(ことごと)く此(こ)の中(なか)より来(きた)る 石鼓文(せっこぶん) 鳴鶴(めいかく)仙史(せんし) [語釈] 欝律(うつりつ) 雷の音がゴロゴロと低く鳴る様子。 史籀(しちゅう) 周の宣王の太史で、文字を統一し、「大篆(だいてん)」「籀文(ちゅうぶん)」という書体をつくった。 鼓(こ) 「石鼓文」は、東周の時代に秦で作られたもので、鼓の形をした石に刻まれている。

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