戦前、ジャーナリストとして、戦後は政治家として、私心を顧みることなく、純粋に国家の前途を思って行動し続けた石橋湛山の生涯と、その言説に対する考察を通して、湛山が日本に残した財産の意義を考える。 「小日本主義」という言葉がある。 周知のとおり、石橋湛山が戦前、戦中を通じて終始一貫して唱えたものである。この言葉を湛山が最初に用いたのは、若き石橋湛山が、まだ「東洋経済新報」の切れ者経済評論者ではなく、同じ東洋経済新報社の評論雑誌「東洋時論」の記者として活動していた大正元年、英国の二大政党における大英国主義(保守党)と小英国主義(自由党)になぞらえて、日本の軍備拡張、植民地経営の拡充など、帝国主義的政策方針を批判してのものであると思われる。 この最初の言説の内容は、実際には荒削りな感があり、後年の舌鋒の鋭さ、完璧なまでの論理構成といった特徴は見られない。しかしながら、それだけに若々しく、なおかつ後