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ブックマーク / note.com/onoholiday (2)

  • サブカルはどこへ消えたか|小野ほりでい

    たかだか十数年前まで、私たちはSNSTwitterの「いいね」だの「フォロワー数」が何の意味もない幻だと”熟知”していた。しかし、そのたった十数年の間に、そこには信じられない速度で”意味”が付与され、一部ではもはやそれを除いては他に何も意味をなさないと言わんばかりに扱われるものになった。 意味のないものに意味が付与されるのに伴って、それまで意味を持っていた”何か”がその意味を喪失するという事態にも私たちは遭遇した。たとえば”サブカル”と略されるもの―――つまりかつてアニメやオタク文化までを含んで包括されていたメインストリームに抗う文化群のうちから、いまではメインストリームと化したアニメーオタク文化を除いたもの―――が表現されてきたコンテクストは急速に不可視化され、主流でない文化はそもそも何に抗っていたのか、どのような人々にどのような思いで支持されてきたかについて私たちは知る由もなくなりつ

    サブカルはどこへ消えたか|小野ほりでい
  • 無思想はなぜヤバいのか|小野ほりでい

    ヤバい思想、と言われると皆さんが思い浮かべるのはなんでしょうか。ファシズムや全体主義?差別主義?優性思想?それとも宗教的原理主義? この世に数多ある危険思想のなかで、ユダヤ人哲学者・思想家のハンナ・アーレントが最も重大視したのは「無思想」でした。 無思想、ノンポリ、無宗教…という「無属性」なステータスを自認していることは私たちの国では取り立てて珍しいものではありません。実際、多くの人は自分は「偏った考え方」に染まっておらず、「普通の感覚を持った/普通の日人」であるというふうに考えています。よく異文化から揶揄されるように私たちは、「他の人と違う」ことに漠然とした恐怖を持っており、「普通であること」、そして「特定の立場や意見を主張しないこと」によって他の人たちとの温かい連帯関係の中に存在できます。 しかし実のところ、この「自分は普通の感覚を持っている」という自認こそが危険な状態だ、というのが

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