得体の知れないウイルスが襲いかかってきた時、我々は遠ざけようとし、しかし決して避けられない現実を思い知らされた。「死」。受け入れ難(がた)くも受け入れざるを得ないこの不条理とどう向き合うべきなのか。「ポスト・コロナ」論。日本人の死生観を問う。【佐伯啓思/京都大学名誉教授】 *** 【写真11枚】マスク姿の市民はほぼおらず… “コロナ終息宣言”のスウェーデン、首都の景色 コロナ禍が始まってすでに2年超が経過した。この疫禍は我々に何をもたらしたのであろうか。 社会は混乱して、閉塞感が覆い尽くし、経済は停滞した。しかし、これらはいずれもコロナ禍の「現象」であって、「本質」ではあるまい。 感染症とは、つまるところ自然による人間への襲撃である。それを前にして我々はほとんど無力だった。マスクをし、手洗いを徹底する程度のことはできたものの、実態としてそれ以上はどうすることもできなかった。ワクチンは一定の
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