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ブックマーク / www.journalism.jp (6)

  • 深夜のシマネコBlog: 鶏口となるも牛後となるなかれ

    ●鈴木謙介がなにか言っているようで。 ラジオで言ったほうはまだ詳細が分からないので、「冬枯れの街」さんの方から。 Synodosレクチャー 鈴木謙介×芹沢一也(司会) 鈴木謙介講演会 日時 2007年8月18日 14時30分〜16時30分(14時開場) タイトル 「サイバー・アナーキズムの時代」 比較的若い世代による、社会と大人への「異議申し立て」が注目を集めている。ある者は「大人」の「若者」に対するバッシングを糾弾し、別の者は、自らが得ることのできなかった可能性を、「戦争待望論」をちらつかせながら、「既得権」を持つ人びとに対して要求する。「こんな国はもう滅ぼすしかない」と叫ぶ声が、ネタ半分とはいえ喝采を浴びる一方、制度を脱臼させるような社会運動、カーニヴァル的な抗議運動も、じわじわと広がりを見せている。こうした動きを、どのように理解するべきか。重要なのは、これらの異議申し立てが、硬直した

  • 深夜のシマネコBlog: 若者の貧困を知ることから逃避してはいけない

    ●なんとあの『下流志向』内田樹先生が私の事を中央公論で取り上げてくれたそうで。 “時代遅れ”の学校が子どもの下流下をい止める 138ページ 内田 そうですね。今の若い人たちの中には実際に 「戦争を期待している」と公言する人までいますから。 諏訪 そんな人がいるんですか? 内田 ええ、若者のワーキングプアが生まれているという 中で出てきた特異な論調だと思うのですが、当に いるんです。そのロジックは要するに 「格差が固定している時代の中で自分が最下層にいる。 もし戦争になれば全員が不幸になる。不幸において平等が 達成されるなら私は戦争を歓迎する」 ということです。自己努力ではシステム内での上昇が 望めないから、システムそのものを壊してしまえという 危機待望論です。近代後期社会が行き詰まっていることは たぶん、みんなが感じている。でも「歴史は完成に向かって 進化している」という進歩史観につい

  • Blog: JOL>f OLnBHjD

    ●どうもネットを見ていると、「ペッパーランチの店内でペッパーランチ従業員によって、卑劣な犯罪が行なわれた」ことと、「ペッパーランチという店自体が犯罪を犯した or ペッパーランチという店自体が犯罪の巣窟である」ことの区別がついていない人間が当にいるようです。気持ち悪いですね。 ●第320回の「マル檄トーク」で、私の『「丸山眞男」をひっぱたきたい』が取り上げられています。(Part.2の42分ぐらいのところから) その中で萱野稔人さんは「経済の問題ではなく、社会的承認の問題ではないか」というわけです。 確かに、まず「戦争」ということを考えて、その時に「自分が兵隊になる」すなわち、既存左派の「お前が兵隊に行くことに成るのだ」という対論に答える形で、「自分が兵隊になって、戦争の中で死ねば、靖国なりなんなりで英霊として丁重に葬られる」ということはあるわけです。しかしそれは、「国家が戦争に至る」と

    otsune
    otsune 2007/05/28
  • 深夜のシマネコBlog: オリコンが烏賀陽さん個人に対して、5000万円の損害賠償訴訟

    ●武田さんのところから、あわてて転載。 これは訴訟などではない。カネという武器を使った暴行だ!! ■「オリコン」が烏賀陽個人を被告に5000万円の損害賠償訴訟■ (情報の正確さを考えて、転載の文章を削除し、烏賀陽さんのサイトへのリンクに直しました。 12/19 赤木) (以下、19日になってからの追記です) 烏賀陽さんとは、読書会で直接お会いしたことがあります。 いかにも音楽が好きそうな雰囲気で、とても紳士的で、決して的を外さない話をしてくれる人だったことを覚えています。こっちがあやふやな質問をしても、質問の意図を読みとり、的を外さないように返答するってのは、結構難しいんですよ。 その時にちょうどこの辺の話もしました。烏賀陽さんは「オリコンとPOSデータの違いはあるけれども、最終的にはおおよそ同じような値に収束する」と言っていました。けっして「オリコンのデータはいいかげんだ」などとは言って

    otsune
    otsune 2006/12/27
  • 深夜のシマネコBlog: 格差社会を容認する類の弱者が望むもの

    ●この記事についての注意。 この文章は2006年9月15日に書かれたものであり、いまの私は、この文章のママの考えかたをしていません。 また、私の男女問題の認識につきましては『若者を見殺しにする国』(双風舎)の中に記していますので、必ずそちらを一読していただけるよう、よろしくお願いいたします。 Blog記事というのは、あくまでも著者の考えかたの断片を記しているに過ぎず、その言説を行うためのさまざまな仮定された条件を読み解いて、始めて著者の考え方が読み解ける物であると考えています。 この記事は、私が論壇デビューする前のものであり、さまざまな考え方や書きかたの実験を含んでいます。 特に「過去の記事」というのは「その時点で考えていたこと」に過ぎません。一度でも過去になにか書いたら、一生、その発言について責任を取れという考え方を私は好みません。 当なら、過去の文章に手を入れるのは好きではないのです

    otsune
    otsune 2006/09/16
  • 深夜のシマネコBlog: 『バックラッシュ!』を非難する

    ●ということで、今日は双風舎『バックラッシュ!』に対する非難(批判ではなく)。 なぜ「批判」かと言えば、双風舎編集部は自身のブログの中で「同書をつくった意味のひとつは、議論のたたき台になるようなものをつくる、というものなので。」と述べてるが、私は決してこのを議論の叩き台にしてはならないと考える。ゆえる、両者の間に建設的意味を持ちうる「批判」ではなくて、建設的意味をもたない「非難」とする。 まずは簡単にバックラッシュに至る前提を提示する。 1、全体として「男は強者」「女は弱者」という色眼鏡でしかモノを見ていないため、結論がすべて「女性優遇」でしかなく、想像される社会が男女平等とはほど遠い。 2、「社会進出」という名前の会社的な観点でしか強弱を区分していない。「会社での地位=人間の価値」という価値観を推進してしまっている。 1+2、こうした論理がフリーターやニートという「弱者男性」、そして、

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