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ブックマーク / littleboy.hatenablog.com (17)

  • アイドル田原俊彦はいかにしてメディアから抹殺されたのか - てれびのスキマ

    お忙しいなかをね、マスコミ嫌いの田原のためにこうしてあつまっていただきありがとうございます。 今日のこの場面ですか、会見もね、僕の意思に反することは充分にあるんですが、ここに至るまでの段階として、ほんとみなさんの熱意と言うかしつこさと言うか大きなお世話に僕も大変困惑しまして。 −−(結婚式の)時期はいつごろになりそうですか? またぁ、こないでよー。疲れるんだから(会場笑)。嫌いなんだから。僕はみんなのことを。 何事も隠密にやりたかったんだけど、僕くらいにビッグになっちゃうと、そうはいきませんけどね。よく分かりました、はい。 これが当時各局のワイドショーなどでくり返し流された1994年2月の田原俊彦長女出産会見で、この中の「ビッグになっちゃうと、そうはいきませんけどね」という発言が「ビッグ発言」として大きく報じられた。また「終始傲慢な態度で記者の質問に答えない」などとされた。その結果、彼の好

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    otsune 2011/10/31
  • それでも愛される太田光 - てれびのスキマ

    1月24日の『しゃべくり007』のゲストは爆笑問題太田光。 登場するなりメンバーが苦笑いし「面倒くせー」と声をあげる。 太田光は自他共に認める「面倒くさい」芸人である。 拾いづらい小ボケを連発し、相手が答えられないことを平気で訊いたと思えば、自分の主張を長尺でしゃべり続ける。 自分がやっていて楽しければ楽しいほど、その面があらわになって周りが迷惑する。そしてこの日もくりぃむしちゅーやネプチューンといった昔から気心の知れたメンバーとのフリートークということで実に嬉しそうに暴れ、実に扱いにくそうだった。 面倒くさい太田光 番組ではメンバーが口々に太田へのダメ出しを連発する。 『しゃべくり007』を「べしゃくり007」と言い続ける太田。 それに対し、我慢ができなくなった上田は「よくそんな浅いボケ放りこむよな!」とツッコむ。名倉も「ホンマ、ダジャレばっかり言うてる!」と。 そして名倉は続ける。 「

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    otsune 2011/01/29
    ちなみに「太田光が嫌いだ」というのをわざわざネットに書く人は、ウォッチしてて面白いことが多いので便利
  • 今田耕司の取扱説明書 - てれびのスキマ

    今田耕司といえば、病的なほど神経質でキレイ好きで知られている。 テーブルでコップから水滴がつくと、飲んでるそばから、その水滴を拭いたり、自宅に若手芸人を招き、若手が器を洗って帰ると、後で今田人が洗いなおすとか、異常なほど几帳面なエピソードが満載だ。 そんな今田が「パーフェクトなマネージャー」と絶賛する中村マネージャーが現在の担当者に交代する際、先代が作成していたという「引き継ぎメモ」が先日の『5LDK』で公開されていた。 A4サイズの用紙6枚(そのうち3枚は個人情報)にびっしり書かれた、それは神経質な今田耕司の正確を裏付ける貴重な資料だといえるだろう。 楽屋に必ず用意しておく物 ・ティッシュ(箱) ・コットン ・タオル2枚(普通用とトイレ用) ・ヘアバンド ・コップ3個(洗面台、テーブル、予備) ・マドラー ・視聴率 ・ボルヴィック3 ・フリスク(ピンク) ・缶コーヒー超微糖(なけれ

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    otsune 2010/05/22
  • テレビ名シーン採録:タモリの女性論- てれびのスキマ

    「笑っていいとも!」8月19日放送 テレフォンショッキング(ゲスト:志田未来) 今、周りで流行ってるものは何? という問いに、志田未来がガールズトークが流行ってると答えたを受けて、タモリが女性の会話に関する持論を展開していた。 女の子の場合、おしゃべりっていうのはひとつのレジャーなんだよね。 それを気付くのに随分かかったよ、俺。40歳過ぎまでかかった。 ある10代のアルバイトの女の子と話してて、休みの日は君はどうしてるの?って聞いたら、休みの日はいっぱい喋りたいって。 そこで、俺、初めて気がついたの。あ、女性の場合は、喋るというのがひとつのレジャーなんだ、と。 そうなると分かってくるのが、女性同士、二人で喋ってるんだけど、一方がずーっと喋ってて、一方がずーっと聞いてて、そして、こっち(聞いてた方)が喋る時、この話題を引き継いでないんだよね。で、違うことをこっちが喋ってんだよ。あれのメカニズ

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    otsune 2009/09/17
  • タモリたちの同窓会 - てれびのスキマ

    日放送された『題名のない音楽会』では「山下洋輔トリオ〜40年目の同窓会〜」と題して山下洋輔、坂田明、森山威男が集まり旧交を温めていた。 そして、彼らが生み出した最高傑作であるタモリもゲストとして登場した。 山下さんは同じような年代なんですけど、これ前の年代と線が隔絶されてるんですよ。僕がお笑いの世界に入ったときに僕より上の世代の人は一人として私を認めなかった。「わからない」っていうのもあるんでしょうけど。だから、必然的に俺たちの世代は、自分たちので何かを考えだして、楽しむしかないんですよ。 それがどういうわけか、我々以下の世代にはすごいうけたんですよ。 と、タモリは当時の状況を述懐した。 そして、話題は、あの有名な「タモリが発見される」エピソードに移る。 これは何度となく色々なところで、色々な人が語っていることであるが、まさに当事者であるタモリと山下洋輔トリオが揃って、それを語るという場

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    otsune 2009/06/28
  • 2009-03-06 - てれびのスキマ 「有吉弘行のブレイク論」

    3月5日に放送された「アメトーーク」では「今年が大事芸人」として昨年ブレイクした芸人が数多く出演し昨年を振り返りっていた。ご覧になった方も多いかと思うが、あまりにも有吉弘行が見事に自分の置かれた立場を的確に分析し、それを言葉にしていたので書き留めておきたい。 まず有吉はブレイクするまでの軌跡を以下のように名付けた。 2007年8月  「おしゃクソ事変」 ↓  売れっ子の品川に牙を剥き浮上。 ↓ 2008年前半 「おしゃクソバブル」 ↓  「文句を言ってれば良し」という凄く楽な時期 ↓ 2008年中盤 「あだ名面倒臭い時期」 そして、有吉は「あだ名面倒臭い時期」に至った後、だんだんとやりにくくなってきている現状を具体的なエピソードを明かし訴える。 どこででもあだ名をつけてくれって言われるようになったんですよ。 ここ(「アメトーーク」)でやってるうちは良かったんですけど特徴も何もない人間につけ

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    otsune 2009/03/06
  • オードリー春日を変えた戦い - てれびのスキマ

    オードリー春日が不遇時代、「K-1」のトライアウト*1に参加していた。 この頃のことを「ゴング格闘技 09年03月号 」のインタビューで振り返っている。 きっかけは『Qさま』の「芸能界潜水選手権」での活躍だった。 そこで「体力系いけるんじゃない?」と事務所の人に言われ、格闘技にも興味がある、とポロッと口にしたのが全ての始まりだった。 「お前、M-1でもR-1でもダメだったら次はK-1しかないだろ!」と断れない語気で迫られ参加することになった。 しかし、会場に足を踏み入れた瞬間、自分が場違いな存在だと気付いた、という。 そこにいたのは、現役のプロ格闘家だったり、格闘技未経験者でもアスリートたちばかりだったのだ。 しかし、そこは「黒魔術」谷川貞治が主催するイベントである。 ある意味当然のごとく準合格という形で合宿に参加することになった。 その事実を相方若林が知ったのは「ラジかる」の芸能ニュース

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    otsune 2009/01/31
  • ナインティナインがチャンスをもぎ取った時 - てれびのスキマ

    ナインティナインが飛躍的に知名度があがり、全国区の芸人になったのは93年に放送された「ねるとん紅鯨団」がきっかけだった。先週放送された「オールナイトニッポン」に乱入したとんねるずともその当時の心境を語っていたが、今週の放送でも、さらに詳しくその当時の思い出を語っている。 岡村:でも、今やからいいますけど、爆笑とった「ほなね」とか「なんでや!?」とかはね……、考えてたんですよ。 矢部:ハッハッハ。 岡村:告白タイム行く前になんか残していかんとって思って。もう充分、途中から手ごたえは感じていたんですけど。 矢部:へへへへ、やらしいこと言うてんな。15年後に。 ただ「あばよ」に勝たないといかんから。 岡村:やっぱり(柳沢)慎吾ちゃんがね「あばよ!」って言って爆笑したっていうのを、僕ら素人の時見てて、「ねるとん」で「あばよ」っていうのは名言やと思ってたもんですから。で、とりあえず一番最初はね、体操

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    otsune 2008/11/09
  • 明石家さんまの眠らない哲学 - てれびのスキマ

    今年の1月から、全17回にわたり「ほぼ日刊イトイ新聞」に連載された「さんまシステム」。「ほぼ日」史上に残る傑作コンテンツである。 この連載の凄さは、さんまのあの引き笑いを 「クワー(笑)」 と、表現したことだけでは勿論ない。 常々「一体いつ寝ているんだ」と言われる明石家さんまの睡眠論を探るという対談のはずだったが、案の定、それだけでは終わらず、彼の芸人論やら、生きる哲学やらを喋りまくることになったからだ。 「27時間テレビ」を期に、もう一度読みなおそうとしたところ、最初から「期間限定」と謳っていたとおり、もう見れなくなってしまっていた。あまりにも面白い対談なので未読の方は書籍化とかの際は是非とも読んでほしいところ。 ということで個人的に特に面白かったところを抜粋して引用してみたい。ダイジェストで。 まずは、さんまの眠らない生活。それがいかに凄いものであるかを表すエピソード。 さんま「で、ジ

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    otsune 2008/07/28
  • 有吉弘行が輝きを取り戻した理由 - てれびのスキマ

    いまさら言うまでもなく、ここ最近の有吉弘行の活躍は目を見張るものがある。おそらく、吉芸人との毛色の違いもありスタッフから重宝され、その安定感で信頼も絶大なのだろう。 彼の真骨頂ともいえるヒドいニックネームの命名は、先日の検索ちゃんSPでの中山秀征=「バブルの生き残り」を筆頭にまだまだ冴えわたっている。 一体なぜ、彼はこうして復活できたのだろうか? そのヒントとなるのが、前号(20年3月発売)の「hon-nin vol.06」のインタビュー*1である。その中で有吉は「芸人・有吉は数年前に死んでますから」と語っている。 猿岩石を解散して仕事が一気に減ったじゃないですか? ある月、ついに月給が0円になっちゃったんですよ。あぁ、これは芸人として終わったな、と。人生を一回リセットしたんです。そのとき。 当は芸人を辞めようと思ったんですよ。でもウチの事務所の先輩たちから「芸人を辞めるな。家賃や生活

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    otsune 2008/06/29
  • キャイ~ン・ウド鈴木の天才的能力と相方天野君の知られざる苦悩 - てれびのスキマ

    ウド鈴木といえば、相方天野ひろゆきを溺愛していることでよく知られているが、そのウドちゃんが天然キャラとは裏腹に、驚異的な記憶力を持っていることはあまり知られていないのではないか。 そのウドちゃんの意外な才能が皮肉にも、彼が大好きな天野君を悩ませてしまっているという事実を、3月26日深夜に放送された「さまぁ〜ず・さまぁ〜ず」の中で、三村から明かされた。 三村 ウドって一度憶えた人の名前を忘れないでしょ。 大竹 あいつそういう能力あるよね。 三村 演者の誰よりもスタッフのこと知ってるわけ。 もう三年前にロケして、俺の横に(運転手だった)高橋がいる時代。で、(ウドたちと)一緒に5分、10分待ち時間があったから雑談した時に、俺が「高橋さん」って軽く言ったのをウドは聞いてて、その三年越しに(ウドが)「あ、三村さんお久しぶりです。あ、高橋さん、お久しぶりです」って、高橋の名前を言うわけよ。 大竹 すご

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    otsune 2008/03/30
  • 赤塚不二夫が語るタモリの居候生活

    タモリがデビュー前、赤塚不二夫宅に居候をしていたことは有名な話だけど、こちらに書かれているように、「笑っていいとも!」でもその秘訣を明かしている。 「卑屈になるな」 「こいつはもしかしたらすごい奴なのかもしれないと家の人に思わせる」 これを実践し、タモさんは、赤塚から小遣いとして月20万をもらいながら、我が家のように生活していた。 スカパーのテレ朝チャンネルの「徹子の部屋classic」で、1981年に放送された赤塚不二夫がゲストの回で、当時のタモリとの生活について語っていた。 徹子 「タモリさんにアナタ、おうちを乗っ取られてたじゃない?」 赤塚 「1年ぐらい(笑)」 徹子 「アナタ(が逆に)、こそこそ居候のように。スタジオの隅で寝たりして」 赤塚 「僕は仕事場で寝てたりしてね。自分の洋服取りに行くときにね、電話かけたりしてね。『今からいってもいいでしょうか?』なんていってね(笑)。それで

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    otsune 2008/03/10
  • 板尾の父は有名な川柳作家だった:てれびのスキマ

    あの板尾創路の父板尾岳人が、関西で活躍している川柳作家であることが先日フジテレビで放送された「東京マスメディア会議」で紹介されていた。 この番組はマイナーながらブレていない専門誌の編集者たちを集めて話を聞くというもの。 その中に「川柳マガジン」もあり、そこに彼の作品が何度か掲載されているという。 気になるその作品は以下のようなもの。 雪女の乳房がとける露天風呂 凶暴な愛を守っている乳房 抽斗(ひきだし)に隠しわすれていた乳房 なぜかやたらと「乳房」が出てくる。 試みに、「板尾岳人」で検索してみると、川柳塔社理事長だったり、選者だったり、講師だったりとご活躍の模様。

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    otsune 2007/10/11
  • 「お笑いウルトラクイズ」にみる芸人愛とその戦友意識 |てれびのスキマ

    2007年まさかの復活を果たした「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」。その番組公式が5月に「非常識大百科」と題されて出版されている。なぜかひっそりと。 たけしとたけし軍団(+山モナ)、ダチョウ倶楽部、出川哲朗、松村邦洋、春一番、林家ペー・パー子といった出演陣、制作者側からはテリー伊藤、甘利孝、財津功がインタビューを受け様々なエピソードを語っている。 ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!! 21世紀版―非常識大百科posted with amazlet on 07.07.30 日テレビ放送網 (2007/05) 売り上げランキング: 94939 Amazon.co.jp で詳細を見る 「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」で、あれだけ理不尽で過激な酷いことをやらせれている芸人たちを見て、僕らが不快感よりも、どこかなんだかホッコリしてしまうのは、やはり彼らの強い一体感、仲間意識、いわゆ

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    otsune 2007/08/06
  • てれびのスキマ - 松本人志とビートたけし

    ついに6月2日に公開となる松人志の初監督映画「大日人」。 同じ日には北野武監督の「監督・ばんざい!」も公開されることで、マスコミ的にはお笑い界の大物同士の対決ということで格好のネタになっている。 ところでファンの間ではすでに有名な話だが、この二人は北野武責任編集の「コマネチ!」にて対談を行っている。 たけし「初めて『その男、凶暴につき』を撮った時も、映画なんかぶっこわしちゃえって好きなように撮ったんだけど、時々弱気になってね。このまま最後までぶっこわしていけばという感じがあったんだけど、まとめようとしたり。こんな壊し方面白いなと思うんだけど、金使って、スタッフ何人も使っているから、ちらっと下向いているヤツがいると、ああ、そうとう気になっているんだなとか考えてしまう。だから、いいところと悪いところがはっきり出たね。映画は最近やっと壊せるようになったかな」 松「僕はたけしさんの映画はほと

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    otsune 2007/06/06
  • てれびのスキマ - 萩本欽一といかりや長介

    先日、松人志とビートたけしの大物同士の対談がかつてあったことをお伝えしたが、過去にはこれに勝るとも劣らない大物対談があった。 それが、いかりや長介と萩欽一との対談である。 しかも、時は昭和51年1月。 あの「8時だョ!全員集合」と「欽ちゃんのドンといってみよう!」が同じ土曜8時で激しい視聴率競争を繰り広げ、ライバルとして鎬を削っていた時期である。 それは、「週刊平凡」(76年1月号)に掲載されているという。あまりに興味深い内容なので、この対談の存在を紹介している「笑芸人 (Vol.1(1999冬号))」から孫引きさせていただく。 いかりやが「最近マスコミでは、よくぼくたちがライバルとかケンカしてるとかいわれるけど、ほんとは形が違うから比較にならないんだよね」とぼやけば、萩は「ドリフターズとコント55号が一緒になにかやると、また別の新しい何かが生まれる可能性があるんじゃないかな」と共演

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    otsune 2007/06/06
  • てれびのスキマ ビートたけしとフライデー事件 あれから20年、日本は。

    20年前の今日、1986年12月9日未明、ビートたけしが講談社の「フライデー」編集部を襲撃した。 その半年後、たけし自身がこの事件について語り、以下のように発言している。 「これはね、何年かたったら実にまぬけなお笑いの事件になってると思うよ。 くだらねえことやってたんだなと思うね、多分。20年もたったら、こんなことが何で事件になるんだっていう感じだな。書く方も書く方だし、殴る方も殴る方だなっていうことだよね。おれと講談社、両方とも笑われるっていうか、それと同時に、その当時の日というものが、すごい笑われると思うけどな」(「たけし事件」より) しかし、20年たった今の日は何も当時の問題を解決することなく、それどころか、一層、深刻になってしまっている。 だから、今一度この事件を振り返ってみることが大切ではないか。というわけで、手前味噌だが、約1年前に書いた過去エントリーを紹介します。 ▼ビー

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    otsune 2006/12/12
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