先ほどNHK-BSプレミアムでABBAを取り上げていたが、お金絡みのテレビ番組で挿入曲として良く使われる曲に、ABBAの「Money, Money, Money」がある。改めてこの曲の歌詞を読んでみると、仕事に追われて生活にゆとりがない女性が金持ちの世界に憧れ一攫千金を夢見る、という内容のようである。 まさにそうした拝金主義をノアピニオン氏が直近のエントリで批判し、本ブログの昨日エントリへのコメントでご紹介いただいた。そのエントリで氏は、日本ではそれほど給与の高くない仕事に就いている人もプロとして遇され、上記の曲の女性のように負け犬根性を持つことも無い、と書いている。ただ、同エントリのコメント欄では、小泉改革以降それも変わりつつあり、「一億総中流」という言葉は聞かれなくなった、という指摘がなされ、ノアピニオン氏もそれに同意している。 一方、そうした中流社会の崩壊は製造業の軽視によるものだ、
1 分析の対象 著作権法あるい著作権制度について議論するとき、 法律学での議論と経済学での議論には、 対象となる関与者の把握の仕方に違いがあるように思われる。 法律学、とくに欧州法型著作権法理論では、 権利の源泉として著作者を中心に把握するために、関与者は、「創作者(author)」と 「利用者(user)」という二者として把握されることが多く、一方、 経済学での議論においては、専ら知的財産が取引される市場を中心に把握するために、 関与者は、「提供者(provider)」と「利用者(user)」 という二者として把握されることが多く見られる。もちろん、 全ての議論について確認することは不可能であるので、 上記の分類はあくまでも印象の域を越えない。しかし、 法律学と経済学の把握の仕方の差が上記の様に実際に存在するならば、 本稿での議論はむしろ経済学的把握に近い。 本稿でこの視点を採用する理由
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く