7小にひな壇など備品 東広島の日興ホーム、50周年で寄贈 (2/2) 東広島市西条町寺家の住宅メーカー、日興ホームは、創業50周年を記念し、宅地開発に関わった地区の計7...
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 8月6日の広島平和記念式典にルース駐日大使が米国の代表として初めて出席したことが話題になった。広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイの機長ポール・ティベッツ氏(故人)の息子さんはテレビ・インタビューで、広島の式典への米国代表の参加について、「参加すべきではなかったと思う」と不快感を示したという。 もっとも原爆投下についてルース大使が謝罪を述べたわけではない。これに対して、日本の被爆者やその遺族・家族らは強い不満を感じているようだ。一方、米国では「参加したこと自体が『無言の謝罪』になるので許せない」という批判が起こっている。ポール機長の息子さんは、同じテレビのインタビューで「原爆投下が戦争終結を早め、多数の人々の命を救ったとして、『当然、
去る8月6日、焼け残った原爆ドームを背景に平和を象徴するハトが舞い、仏教寺院の鐘の音が厳かに響き渡った。広島の平和記念式典は常に痛々しく、かつ美しい儀式だが、今年は1人の参列者の姿により、人々の心が特に強く揺さぶられることになった。 参列者の名前はジョン・ルース。米国の駐日大使その人である。米国政府代表の参列は、65年前の原爆投下後初めてのことだ。 ある意味で、ルース大使を参列させたバラク・オバマ大統領の決断は素直なものだった。米国内で反発が生じる恐れはあったものの(一部からは、ルース氏が参列すれば謝罪していると誤解されかねないとの批判が出ていた)、広島はオバマ氏が支持している核兵器廃絶の強力なシンボルだ。 核なき世界の実現を訴える演説をチェコの首都プラハで昨年行って以来、広島市と長崎市は大統領の訪問を働きかけている。オバマ氏はまだこの招待に応じていない。 参列の背景にはもっと情緒的な動機
8月6日―。 今年も広島市では原爆被爆者の慰霊祭が行われた。今年は、この慰霊祭に初めて播基文国連事務総長やルース米国駐日大使が参加をした。我が国のマスコミでは、国連もアメリカも核廃絶に向けて動き出したと伝えられている。確かに播事務総長は、核廃絶を目指すと言っている。しかし、これは彼の個人的な願望を語ったものでしかない。また、ひねくれた私には、彼は我が国において反日マスコミの受けを狙っているように感じられる。 国連安全保障理事会の常任理事国である、米英露仏中の五大国は核廃絶の意志など毛頭ない。彼らが考えているのは、核の独占だけである。核兵器が出現して以降、核保有国同士が戦争をすることはなくなった。核兵器には究極の戦争抑止効果があり、世界に大きな戦争を起こさないためには核兵器が必要なのである。かつて、イギリスのサッチャー首相は、「核のない世界よりは、平和な世界を選ぶ」と言ったが、これが我が国以
1965年東京生まれ。小学校時代を米ニューヨークで過ごす。英オックスフォード大学修士号取得(国際関係論)。全国紙社会部と経済部、国際機関本部、CNN日本語版サイト編集者(米大統領選担当)を経て、現職。2008年米大統領選をウオッチするコラム執筆。09年4月に「ニュースな英語」コラム開始。訳書に「策謀家チェイニー 副大統領が創った『ブッシュのアメリカ』」。 JAPANなニュース 英語メディアが伝える日本 英語メディアは「JAPAN」の社会や政治を、英語読者にどう伝えているのか。日本人や日本のメディアとはひと味違うその視点をご紹介します。gooニュース発のコラムです。 バックナンバー一覧 英語メディアが伝える「JAPAN」をご紹介するこのコラム、今週は否応なしに、原爆についてです。原爆投下から65年目にして、初めてアメリカ政府代表が8月6日の広島平和記念式典に出席した。しかし謝罪はおろか、発言
1945年8月9日に長崎の浦上天主堂で被爆した「被爆マリア像」(2010年7月3日撮影)。(c)AFP/Shingo ITO 【8月9日 AFP】65年前に長崎市の浦上天主堂で被爆したマリア像、通称「被爆マリア像」が平和の象徴として、世界各地を「巡礼」している。 直近では5月、ニューヨーク(New York)の国連(UN)本部で開かれた国連核拡散防止条約(Non-Proliferation Treaty、NPT)の再検討会議や聖パトリック大聖堂(St. Patrick's Cathedral)でのミサで披露された。国連の潘基文(パン・キムン、Ban Ki-moon)事務総長は5日、長崎を訪れ、被爆マリアと再会した。 ニューヨークへの道中、バチカンで法王ベネディクト16世(Pope Benedict XVI)の祝福を受け、スペインのゲルニカ(Guernica)ではドイツ軍による空爆の犠牲者を
【ローマ=柳沢亨之】ローマ市は、広島、長崎の原爆犠牲者を追悼するため、市内の道路1か所に、「広島、長崎」の名を冠することを決めた。 6日付伊有力紙レプブリカ(電子版)が報じた。今後、道路の選定手続きを行い、年内に決める見通しだ。 ローマ市のジャンニ・アレマンノ市長は今年4月、市内の高校生代表団と広島市を訪問、被爆者との面会や地元高校生との交流会を行うなど、原爆の惨禍を伝える教育に力を入れている。
グルジアは小さな国である。しかし、この小国を研究していると、時には思いがけない広がりを持つテーマにぶつかることがある。 今日2010年8月6日は、65回目の原爆忌である。今年は駐日米国大使も初めて慰霊祭に参加、1つの節目になると言えよう。 筆者は先頃、グルジアの詩を訳す機会があったのだが、その過程でいくつかのこれまでの個人的記憶がつながり、改めて人類史上最大の災禍について感じるところがあった。 折しも映画『キャタピラー』の主題歌「死んだ女の子(Dead Girl)」が(再び)話題になっている。まさにその原詩を記したナズム・ヒクメト(ヒクメット)・ランの名前に、ふとしたきっかけで出合ったのである。 最近でもトルコ首相の妻が朗読 最近、グルジアで女流詩人として知られるニノ・ダルバイセリさんの協力を得て、20世紀グルジアが生んだ最大の国民的詩人ガラクティオン・タビゼの詩を翻訳した。 これは、タビ
65年前の夏、この場所で1機の飛行機が爆弾を投下しました。美しい長崎市はがれきと化し、何万人もの男性、女性、子どもたちの命を奪いました。 私は世界平和のために、そして並々ならぬ苦難を耐え忍んできた被爆者に尊敬の念を示すために来ました。惨状は衝撃的で耐え得るものではありませんでしたが、皆様は勇敢さを持ち、それを耐え抜いて来ました。 私は長崎市民の皆様と連携し、この場に立っています。この史跡は核攻撃の地理的な中心地を示すだけではありません。このような惨状を二度と、いかなる場所で、いかなる人間に対しても決して許してはならないと確信するための記念碑なのです。 現在、平和市長会議に賛同する市長は世界で4000人に上ります。年末までに5000人以上の賛同を得ようとする努力を歓迎します。このような活動こそが、核攻撃の悲劇にこたえる、最善の方法の一つです。 核兵器が二度と使用されないようにする確実かつ唯一
都内の首相官邸で、菅直人(Naoto Kan)首相との会談に向かう潘基文(パン・キムン、Ban Ki-moon)国連(UN)事務総長(2010年8月4日撮影)。(c)AFP/FRANCK ROBICHON 【8月5日 AFP】来日中の潘基文(パン・キムン、Ban Ki-moon)国連(UN)事務総長は5日、長崎を訪問した。現職の国連事務総長による長崎訪問は初めて。 潘事務総長は長崎原爆資料館を視察したあと、被爆者と面会して話をきいた。 その後、事務総長は原爆落下の中心地碑に献花し演説。このなかで「核兵器が二度と使用されないようにする確実で唯一の手段は、全ての核兵器を廃絶すること」と訴え、長崎市民と連帯していく意志を示した。さらに、事務総長は「想像を超える苦しみを耐えてきたヒバクシャに敬意を示すために、ここに来ました」と語った。 広島は6日、長崎は9日に米軍による原爆投下から65周年を迎える
「最も深く心を揺さぶられた日」 長崎訪問の潘国連総長2010年8月5日20時10分 印刷 ソーシャルブックマーク 原爆落下中心碑に献花し、黙祷する潘基文・国連事務総長夫妻=5日午後0時10分、長崎市、溝脇正撮影 子供たちから折り鶴のレイをプレゼントされる潘基文・国連事務総長=5日午後、長崎市の爆心地公園、奥村智司撮影 被爆マリア像(右奥)の前で会見する潘基文・国連事務総長=5日午後1時8分、長崎市の浦上天主堂、森下東樹撮影 潘基文(パン・ギムン)・国連事務総長は5日、自身が国連トップとして初めて被爆地・長崎を訪問し被爆者らの話を聞いたことについて、「私にとっては最も深く心を揺さぶられた日だった。私の人生で、この種の感動的な日を経験したことはなかった」と話した。 長崎から広島に向かう途中、列車内で同行記者らに明らかにした。爆心地に立った時は「何とも表現のしようがないほど重い気持ちだった」と表
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