日本では大ヒットしている庵野秀明総監督「シン・ゴジラ」ですが、海外報道では非常に不評で、早々に打ち切られる国も相次いでいます。なぜ、こんなことになったのか、バノイスさんと討議しました。ちなみに私は日本人として「シン・ゴジラ」を傑作だと思っています。
ポケモンGO問題は「2つ目の曲がり角」ぐらいに来たんじゃないかな? 2016/9/19 2016/9/20 ポケモンGO(Pokémon GO) 日本配信開始からおよそ2カ月、当初の異常な盛り上がりから公共交通機関でのトラブル、関連死亡事故を含む予想されたバッドニュースを乗り越え、社会に受容されつつある感じのPokémon GOですが、この連休のニュースになった騒動は、ゲームとしてかなり難しい問題が根っこにあると感じます。 希少すぎるチャンスを前に、人はどこまでモラルを守れるのか? 連休に報道された騒動の原因は「ゴミは持ち帰ろう」とか「周りに迷惑をかけない」といった一般的なルール・マナーのレベルの問題だけではありません。 「今、この場でチャンスを逃したら次はどーなるかわからないというときに、何をどこまで犠牲にするか? チャンスを掴むためには反社会的な行為が必要だというとき、それを自分に許容
レールに乗らないで起業するのがブームみたいなので、レールに乗ったまま話もしようかなぁ、と思ったので、書いてみます。 参考: (2021/04/01追記 リンク先が危険なページになってたので、リンクを削除しました。) 過去を語りながら起業に至った経緯を語るのが流行ってるみたいなので、便乗しようかなあ、と思います。もう5年目だけどねw 中学・高校時代 小学校時代は、算数が得意で、筑駒って言う凄い中学に入りました。 でも中学だと、それが全然通用しませんでした。得意分野ならついていけるものの、苦手科目はお話にならず、下1割から2割の成績でした。このあたりで僕は悟ります。僕はそれなりに頭がいいけれども、トップクラスと戦えるほど、平均的に頭が良い人間ではない、ということを。 高2で肘を壊し野球部をやめ、パソコン研究会に頻繁に顔を出すようになります。といっても、そこではボードゲームや麻雀やパソコンのフリ
ここ数年、「人生のコストパフォーマンス」「無駄のない人生」といった言葉を耳にする機会が増えました。 まるでオンラインゲームのレベル上げみたいですね、「人生のコスパ」とか「無駄のない人生」って。もし、人生がオンラインゲームのレベル上げと同じだったなら、こういった言葉は真実そのものとなるでしょう。 でも、人生はオンラインゲームとイコールではありませんし、こういった言葉をありがたがっていた人がメンタルヘルスを損ねてしまった顛末を目にする者としては、人生にコストパフォーマンスを求めすぎるのは危ないなぁと思います。 そもそも、「コスパの良い人生」「無駄のない人生」とは何でしょうか。 一流大学に進学し、一流企業に就職するということ? 自分自身の快楽ができるだけ多いこと? それとも金銭的な収入が支出よりも大きいこと? どれも、すごくテンプレートっぽい人生観ですね。これらだけで人生に彩りが生まれるようには
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く