Sponsored by SK-II 不惑が来る! わたしは8月生まれなのですが、今年の誕生日を迎えると、10の位が1つ増えます。つまり40歳。「四十にして惑わず」という言葉があるそうですが、まさに不惑。いろいろと迷うことや悩むことが、少なくなりました。 振り返ってみると、いままでの人生で迷ったり悩んだりしてきたことの大半は、「他人からどう見られるか」だったような気がします。たとえば「もう○歳なのに××できていない」「こんなこともできないなんて、みっともないと思われる」のような。 でも、年齢を重ねて神経が図太くなってきたのか、図々しくなったのか、だいぶ「他人にどう見られようと、どうでもいい」と思えるようになりました。それは、自分にとって大切なこと、大切にしたいこと。どういう自分が居心地がよくて、どういう自分でいたいか、が見えてきたからかもしれません。 もちろん、他人の目線で自分を客観的に見
anond.hatelabo.jp 読み終えて、良かったねえ、と思いつつ涙しました。 ああ、こういう何気ないひとことで、誰かを救うことができるのが「ヒーロー」なんだな。 でも、考えてみると、ヒーローである、あり続けるというのは、とても大変なことなのです。 以前、ファンへの「神対応」で知られる、あるプロ野球選手が、こんな話をしていました(選手名は失念してしまいました。申し訳ない)。 「子供のころ、憧れていたプロ野球選手を街で見かけて、思い切って声をかけたんです。その選手は、テレビではいつもニコニコしていて明るかったんだけど、急いでいたのか、機嫌が悪かったのか、「プライベートだから、今はダメ!」と僕を睨んで、足早に去ってしまいました。いろいろ事情はあったのかもしれないけれど、とても悲しくて、寂しかった。その経験があるので、僕はファン、とくに子供には、どんなときにもキチンと接するように心がけてい
今から約10年前。日本中の女子中高生の間で大流行した、「ケータイ小説」を覚えているでしょうか。 10代の読者の方々はご存じないかもしれませんが、ケータイ小説は当時日本中で大ブームを巻き起こしたコンテンツであり、2000年代の若者文化を語る上でも重要なキーアイテムなのです。 ケータイ小説とはその名の通り、「ケータイ」で書かれ「ケータイ」で読む小説のこと。今でいう「ガラケー」で書かれたその小説は、素人が「実話」を元に書いたものがほとんどだとされています。 ただ、2017年現在、ケータイ小説という単語を久しく聞かなくなってしまいました。あれだけ流行したケータイ小説文化は、一体なぜ廃れてしまったのでしょうか。 今回はその歴史と背景を交えながら、なぜケータイ小説が若者たちの間でブームになり、なぜ急速に人気が衰えたのかを探っていきたいと思います。 参考文献 『ケータイ小説的。 “再ヤンキー化”時代の少
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