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2018年2月15日のブックマーク (9件)

  • 父親になったブロガーたち - シロクマの屑籠

    長いことブログを書き続けていると、いろんな人が現れて、いろんな人が去っていく。何人かは鬼籍に入った。もう決して戻って来ないブロガー・ツイッタラー・ウェブサイト運営者のことは意外と覚えている。インターネットという僅かな縁でも、記憶は繋がっていくものらしい。 ところで、私の観測範囲のはてなブロガーから「父親になりました」という話を耳にするようになった。今、妊活しているというブロガーの話も耳にしたりする。 これは十年前のはてなダイアリー時代には無かったことだ。はてなダイアリーが希望をもって語られていた2004~2006年頃にも、30代や40代の男性ブロガーはいたように思う。そのなかには、単著も出しているような著述家も混じっていたけれども、父親になるとかならないとかいった話題はあまり見かけなかった。 しかし、現在のはてなブログには「父親」がたくさんいる。父親になって時間の経ったブロガーも、父親にな

    父親になったブロガーたち - シロクマの屑籠
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2018/02/15
    はてなダイアリー時代にはお互い独身で若かったブロガーが、気が付けば父親になり、父親としての所感を書き綴っているの、歳月を感じます。
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  • 2月11日の話 - あのにますトライバル

    〇建国記念の日である。起源は二千六百年~(ここしか知らない)。 〇オリンピックが始まって、テレビが一面スケートだのスキーだのになってしまい、競技を見るのは楽しいけど「メダルが~!」っていう報道が基的に好きじゃないので競技だけ淡々とやってほしいなぁとは思っています。個人的にスピードスケートのショートトラックとか見てて好きです。あとスノーボードとかエアリアルとか、そういうのも「すげー」って出来るので楽しいです。体操選手もそうだけど、空中で浮いてくるくる回れるのってすごいよね。 〇冬アニメはとりあえずポプテやばいなぁとか思いながら見てます。全部は追えてないけど、ポプテのネタはともかくAパートとBパートの声優の仕掛けがとにかく面白くて見てます。リメイクとか再解釈とか「この人の演じた〇〇」みたいなのが好きなのでそんな感覚で見ています。あと2話の羊毛アニメの金のかかり方とか挿入歌の気合の入れ方とか細

    2月11日の話 - あのにますトライバル
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2018/02/15
    (ここにもはてなパパンが?)
  • 反出生主義に感じる違和感について - Qana’s diary

    ネットの言論にいつくのはよしておこうと思っていたのですが、気になる話題が盛り上がっているようなので思わず反応してみます。 https://anond.hatelabo.jp/20171230111228anond.hatelabo.jp この考え方は理解できます。おおむねロジックは通っていて、ある程度は賛同したいところもあります。自分に引きつけて考えると、私自身あまり子どもを持ちたいとは思いません。そしてこの論への反論の主たるものである「社会の維持」という観点は、筋が通っていないと言わざるを得ません。もし個人レベルで反出生主義を受け入れつつ、社会的な面が課題となるだけなら、社会が持続可能なぎりぎりのところまで出生数を絞って、最後に生き残った老人の介護をしてくれるロボットを作って、緩やかな滅びへと着地させるべし、という結論になるでしょう。でも社会の持続可能性の観点で反論している人がその立場

    反出生主義に感じる違和感について - Qana’s diary
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2018/02/15
    「思弁する」ということが一体いつから生まれてくるのか。生まれたての人間は思弁しない。一定の教育を受けない者も思弁しない。人間は訓練されて思弁する存在となる。そのうえで反出生主義を考えるとしたら。
  • 過去から自由になること:自分の外にある自分 - Qana’s diary

    「自分」は自分の外にある。自分が何者であるかは、自分が持っている物、自分がいる場所、自分の人間関係、そういうものによって規定される。単に外からそういうふうに見られるというわけではない。自意識の上でも、全面的に影響されるのだ。自分とは、一つの身体の中に閉じたカタマリではなくて、自分とその周囲が総体として作り出す「場」に存在するものなのだ。 自分というのは一面的存在ではない。ある時点の自分は複数のコミュニティに属して複数の顔を持つし、また時間の経過とともに自分は変わっていく。親といたときの自分と、学校での自分、大学に進学してからの自分、就職してからの自分、あるいは自分の家庭を持ってからの親としての自分。さらには孫に対しての自分。75歳のあなたがいたとして、去年孫からもらったプレゼントと、20歳の時に恋人からもらったプレゼントがあったとする。どちらを身につけるかで、あなたの人物像、振る舞いそのも

    過去から自由になること:自分の外にある自分 - Qana’s diary
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2018/02/15
    自分とは「場」に存在する、という考え方はそのとおりだと思う。
  • 予告編だと思ったら本編だった話 - Qana’s diary

    祖父母に会うたびに、いたく向こうがよろこぶ。ただ自分が顔を見せただけなのに。それは存在を肯定されたようでうれしいけど、どことなくむずがゆく思っていた。――これは、少なくない人に共通する、現在ないし過去に覚えた感傷なのではないだろうか。 でも、なぜ? どうして、あんなにうれしそうにするのか? 「そりゃあ子孫の繁栄を願う生き物としての根源的な感情だからですよ」――そうやってわかったふうな口ぶりをする人がいるかもしれない。でも、そんな説明では私は納得しない。だってあまりに浅い理解じゃあないか。老境に人が抱く気持ちを何一つ描いてみせていないではないか。 人生というのは、出生から成人までがその編で、あとは余韻が響いているだけなのだ。人生の旋律は出生から成人まで鮮やかなリズムを奏でるが、そこからは先細っていくだけなのだ。だから、人はカノンのように旋律を後から後から重ね合わせる。それが子孫だ。 自分自

    予告編だと思ったら本編だった話 - Qana’s diary
  • Future directions for children and adolescents with mental retardation

    There have been fundamental changes in the way children and adolescents with mental retardation are viewed and treated. And, in the years to come, we will see significant advances in treatment and prevention efforts that will be unprecedented in the history of this field. Leading the way will be biomedical discoveries about the nature of the differing forms of mental retardation and our ability to

  • 何歳になっても「人生のベスト」や「人生のコスパ」は変わるし、変えられる。

    かつて私は、老人ホームの嘱託医のような仕事を担当していた時期があった。 精神科病院で入院治療している高齢者に比べると、その老人ホームの入居者さんは心身ともに健康だった。ただし、彼らに処方されている薬をみれば、その健康が人工的につくられたものなのは一目瞭然ではあったが。 循環器系の薬。白内障や緑内障の点眼薬。抗認知症薬や向精神薬。たくさんの薬によって彼らの健康は守られていた。 年齢が年齢だけに、急性肺炎が命取りになることもあるし、骨折がきっかけで認知症が一気に進む人もいる。それでも彼らの日常は、平穏そのものだった。 そうやって、おおむね健康に過ごしている高齢者を頻繁に診察していて、ふと思ったことがあった。 診察を通して私がすべきことの第一は、「健康上の問題を発見し、治療すること」である。だが、第二にすべきことは「あなたは健康ですよと告げること」ではないか? 「大丈夫です。今日もいいコンディシ

    何歳になっても「人生のベスト」や「人生のコスパ」は変わるし、変えられる。
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2018/02/15
    書きました。年齢が変わると、人生のベストやコスパの概念が変わります。
  • 山本一郎(やまもといちろう@告知用)さんのツイート: "いや、はてブは誰でも何でも平等に叩いているし、叩いている人の中には叩かれる側も「あ、まあそうかな」と思わせるぐらいに博識な

    いや、はてブは誰でも何でも平等に叩いているし、叩いている人の中には叩かれる側も「あ、まあそうかな」と思わせるぐらいに博識な人もいるので、あれはあれで貴重なウェブ内の生態系ですよ。たまに身を引き締めるために訪れるぐらいがちょうどいい… https://t.co/XX3AkqC6oO

    山本一郎(やまもといちろう@告知用)さんのツイート: "いや、はてブは誰でも何でも平等に叩いているし、叩いている人の中には叩かれる側も「あ、まあそうかな」と思わせるぐらいに博識な
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2018/02/15
    これはこれでひとつの生態系、というのはよくわかる話。