今旬の話題であるヱヴァと、それが前提とした「THE END OF EVANGELION」(以下EoE)と、このふたつに近縁するジャンルであるところの美少女ゲームがそれぞれ描き出す「他者性」について、それぞれを絡めながら、少し語ってみたい。 美少女ゲームにおける他者とは? 美少女ゲームにおける他者は大体において都合のいい他者であり、自己愛の鏡みたいなところがあるというのは古典的な批判だが、割と的を射ている。というか、それはもはやある種の共通認識だろう。だからこそ、現状における美少女ゲームの倫理的/作劇的問題は、そうしたものであるからこそ表現し、達成しうる何がしかがあるということに移行している。 では、それはどのようなものだろうか。 美少女ゲームにおける他者とは、自己愛が投影された「都合がいい他者」――すなわち他者性と自己愛との間にある両価的他者であるからこそ、異質でありながら共感性を得られる