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ブックマーク / crow-henmi.hatenadiary.org (16)

  • 両価的な他者性が描き出す可能性――エヴァとエロゲと赤い浜辺と - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    今旬の話題であるヱヴァと、それが前提とした「THE END OF EVANGELION」(以下EoE)と、このふたつに近縁するジャンルであるところの美少女ゲームがそれぞれ描き出す「他者性」について、それぞれを絡めながら、少し語ってみたい。 美少女ゲームにおける他者とは? 美少女ゲームにおける他者は大体において都合のいい他者であり、自己愛の鏡みたいなところがあるというのは古典的な批判だが、割と的を射ている。というか、それはもはやある種の共通認識だろう。だからこそ、現状における美少女ゲームの倫理的/作劇的問題は、そうしたものであるからこそ表現し、達成しうる何がしかがあるということに移行している。 では、それはどのようなものだろうか。 美少女ゲームにおける他者とは、自己愛が投影された「都合がいい他者」――すなわち他者性と自己愛との間にある両価的他者であるからこそ、異質でありながら共感性を得られる

    両価的な他者性が描き出す可能性――エヴァとエロゲと赤い浜辺と - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2009/07/21
    第二パラグラフ冒頭のアスカの定義は、当時勃興しつつあった萌えキャラクター群との対比のさせかたとして筋が違うと思う。少し熱気を醒ましてから、言及する。
  • エンドレスエイトにおけるループ描写の特異性 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    今期の「涼宮ハルヒの憂」においては、原作では1話で済んだ「エンドレスエイト」をループ構造の作品として延々繰り返しているのだが、これはいわゆる「ループもの」の作品とかなり違う文脈で描かれている珍しい例なので、少し論じてみたい。 一般にループものと呼ばれる作品が、実際に同じシークエンスをループすることは余りない。むしろ「ループしている」という状況を、さまざまなベクトルから描きつつ一のシリアルなストーリーラインに落とし込むか、ループという状況によって多数化された物語の上にメタフィクション構造を積み上げ、そのメタ部分をメインラインとして、やはりシリアルなストーリーラインが組まれることが多い。 たとえば、前者の代表的な作品である「うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー」(正確にはその前半部)においては、登場人物たちそれぞれがループの奇妙さに気付き、それを打破しようとしてさらに混乱していくとい

    エンドレスエイトにおけるループ描写の特異性 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2009/07/10
    なるほど、この相違は忘れちゃいけないか。こっちのほうが狭義のループだもんな。
  • うろ覚えCLANNAD論――後期近代における「イエ=家族」の形成の困難―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    Twitterからの転載・改稿。 CLANNADは、主人公とヒロインが、出会いから恋愛、そして学生生活におけるゲゼルシャフト的関係を通じて、「イエ」という史的・空間的連続性を持つ共同体に包摂され、家族として成り立つという話として読みうるし、またそう読まれがちである。 しかし、CLANNADにおいて「イエ」そのものへの帰属が重要であっても決定的でないことは、/ヒロインの実家である古河ファミリーに、主人公である岡崎朋也が参入しない/参入を拒否することから見て取れる。より重要――そしておそらくはメインのテーマであるのは「主人公自らのイエ」への帰属と、その家長としての自意識の形成である、と見るべきだろう。 主人公が古河ファミリーに帰属しないのは、彼自身に「古河のイエ」の一員ではなく「自らのイエ」の家長であるという自覚が無意識的にあるからだといえよう。そのくせ育児放棄とかはしてしまうのだから、主人

    うろ覚えCLANNAD論――後期近代における「イエ=家族」の形成の困難―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2009/04/04
    クラナドの家族云々の部分は、テーマのゆえに各人の執着や問題とダイレクトに結びつきやすく、「投影まんが祭り」になりやすい。自分の執着と距離をとった言及をするのに困難を感じる。
  • 推理は可能か、不可能か――「うみねこのなく頃に」におけるフェアプレイ性―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    「うみねこのなく頃に」という作品は、一見推理ゲームのように見えるが、その条件を完全に満たしているとはいえない。推理ゲームにおいては、与えられた手掛かりから得られる最もありそうな唯一の解を選び出すことが前提とされるが、当作品において与えられる情報は非常に少なく、解の発散――複数の解が同時に存在しうる状態を呼び起こしている。これは推理ゲームとしての欠陥なのか、それとも必然なのかを問うことは「うみねこのなく頃に」(以下うみねこと略)という作品を解釈する際、大きな意義を持つだろう。 まず、推理ゲームにおける推理というものが、実際には上記のごとき論理実証主義的なものではなく、テクストと読者のある種の共感性によって成立するものだということを指摘しておきたい。厳密に解が収斂するほど証拠を積み重ねた作品はさほど多くなく、多くはテクストが提示する断片的な証拠から推定されるいくつかの解のうち、よりもっともらし

    推理は可能か、不可能か――「うみねこのなく頃に」におけるフェアプレイ性―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2009/03/02
    「いつでも裏切れる」からこそ、だからこそ敢えて信じて遊んでみましょうよ。ギミックも壊さず、全部とは言わないにせよある程度は科学側とも折り合いつけながら、金蔵が愛を取り戻す物語を楽しみにまってみます。
  • 「誰かが助かれば、他のみんなはどうなるのか」再考――選択肢式ゲームの構造論(メモ)―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    選択肢式ギャルゲーにおいてよく議論される問題として「あるヒロインを選択した場合、その他のヒロインはどうなるのか」というものがある。これは、選択肢によって個別ストーリーへと進み、他のヒロインが後景化するタイプのゲームにおいて前景化する問題である。これについては「多世界解釈=遡及的過去生成」説と「同一世界解釈=確定的過去共有」説が有力な説として浮上し、それがある種の対立関係にあるものとして語られてきた、という過去があった。ひらたくいえば、前者は「あるひとりのヒロインが選択されると、そのヒロインルートがひとつの確定的現実として観測され、他のヒロインたちは自動的にドラマを保有しない脇役へと後景化する」というアクロバティックな解釈であるが、後者は「あるひとりのヒロインが選択されると、他のヒロインたちはそれぞれのドラマを保有したまま、主人公と結ばれないことによるバッド/ノーマルエンドへと向かう」という

    「誰かが助かれば、他のみんなはどうなるのか」再考――選択肢式ゲームの構造論(メモ)―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2009/02/06
    なんという不自由! ここに書いてある考え方でいくとCCもkanonも「異性を誰も選ばない&誰 も 選 べ な い」ということか。プレイヤーの主体性の欠如、または剥奪(ベタレベルで)。/選ぶと捨てるは表裏一体の筈。
  • 2008-06-22

    今日は外に遊びに行く予定だったのだけど、体調が急降下してだるかったので家でごろごろしていた。来週こそリベンジ。 「サバルタンとしての加藤智大」(http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20080621#1214062132)について、あちこちからツッコミを受けて多岐に渡る議論になった。それについて、ある程度まとめておきたいと思う。ただ、気力がないので手短に。 サバルタン性は加藤という存在、あるいは加藤が属していた社会階級のみの問題に収斂されるべきではないのでは? コミュニケーション不全と自己疎外による徹底したサバルタン性というのは、確かに加藤個人や加藤の属していた社会階級のみに止まる問題ではなく、現代社会において普遍的に存在する問題といえる。主体性への接近不可能性(後述)や、他者との了解不可能性という問題は、程度や状況の差こそあれ現代社会に属する個人にとって普遍的

    2008-06-22
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2008/06/22
    前のエントリと込みで、crow_henmiさんの考えに少し触れることが出来たと思う。しかし、ここまで「主体性」に拘るというのは良くも悪くも西洋チックで、それをウチらの生活感覚にどう接続すんのか、は、気になった。
  • BLUE ON BLUE(XPD SIDE) どうみてもディストピアです

    あ、もう歳末だ。一年間無駄なことばかりしてきたなあ。と、溜息をついてみる。とてもクリスマス気分になれるものではありません。思えば去年もそんなことを考えていたわけですが、ある種の停滞や反復から脱却するのはきわめて難しいのだと思います。なにしろそれは心地よいので。 来年こそは何とかしたい、と、思ったりもしないでもないのですが、多分来年も同じように停滞と反復にはまり込み、少しずつ少しずつ、擦り切れていくのだろうな、と、うつむき加減の未来像を描いてしまいます。いかんいかん。もっとポジティブにならねば。 ディストピア10傑を語っていたら衝動的に欲しくなったので「国民クイズ」上下巻を購入してしまいました。amazonで「残り1部」と表示されていたので、実際に入手できるかどうか、ギリギリのところですが。これを逃すとどこぞの細々とした再版ルートから入手せざるを得ないので、手元に届いて欲しいなあと思います。

    BLUE ON BLUE(XPD SIDE) どうみてもディストピアです
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2007/09/29
    この文章だけでおなかいっぱい。びっくりするほどディストピア!
  • BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 2007-09-22 - シロクマ宅配便、あるいは郵便的不安と視線への被曝

    休日だからといって、夕方から呑んでいたら早くも気分が悪くなったので胃薬呑んでごろごろ。酒に弱すぎる。そしてHoI2で中国全土を征服しチャイナマスターとなった日に頭を抱える。日だけで200個師団いるのに傀儡中国も合わせたらどうなるんだ。いくら米英が味方といっても、オージーに付け入る隙はあるのか。前途は暗い。人的資源がアレなので大会戦は不可能。やはり漁夫の利かなあ。 http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20070922/p1 パブリックに露出し、不特定多数の視線に曝されている以上、そうした「郵便的不安」や「誤配性」からは逃れられない。ましてやシロクマPくらいもふもふしていると、なおさらではないか、とか。 というか、シロクマPほどの人(獣?)がこの問題に対して無自覚だとは思わなかった。むしろ、そうした「郵便的不安」や「誤配性」を逆手に取るくらいのことは仕込みと

    BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 2007-09-22 - シロクマ宅配便、あるいは郵便的不安と視線への被曝
  • BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 2007-09-03 ヱヴァに対する庵野秀明の意図と「ぼくら」の受容の形態

    なんだか体中が痛いんですが。サロンパス必須。サロンパス臭いサロンパス怪人です。 id:i04さんにぼくを元ネタにしたキャラクターを書いていただきました。なんかクールなキャラになってて、少し照れくさい気分。ともあれありがとうございます。この調子でどんどん好きなものを書いてください。はてなネタも大歓迎です。シロクマPとか。 青年のための読書クラブ 作者: 桜庭一樹出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2007/06メディア: 単行購入: 5人 クリック: 86回この商品を含むブログ (254件) を見る読書というのはある種の秘儀で、それを共有するものたちの密やかな集団、というのがこの世界にはあちこちに存在している。ある種の閉鎖的社会においては特にそうだ。秘儀を胸に抱いているがゆえに、他の人々とは交われぬ人間、あるいは、他の人々と交われぬがゆえに、そうした秘儀へと参入する人間。そうした、世に入れ

    BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 2007-09-03 ヱヴァに対する庵野秀明の意図と「ぼくら」の受容の形態
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2007/09/05
    序、が始まった今の時点でいきなりメタな思考に飛ぶような消費形態は勿体ないと思う。いや、メタな思考しかしない・出来ないというのなら致し方ないけど。おいらは消費についてのメタ分析は終わってからでいいや。
  • BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 規範批評者の傲慢

    今日は大変涼しくて過ごしやすかった。毎日このくらいだと楽でいい。のだけど。 日常を描くという意図の下に描かれたものは日常でない、という言説を聞いて頭を抱えた。ルネ・マグリットの「これはパイプではない」じゃあるまいし、そういう言葉遊びを通俗的表現のレイヤーに持ち込むなよ、とは思う。それを云い始めたらなんでも別のものに摩り替えられるんだからさ。 ちょっと気になる文章があったので抜粋。 以前にも述べたように、観てくれる前提の人間に対してしか門戸の開かれていないanimationというのは否定されるべきである。少なくとも、「祭り」に参加することが前提となっている人間の評価を作品の評価に含めるのはおかしい。参加しない人間をいかに説得できるかということが作品の評価であるからである。 こういうのを規範批評という。内的規範によって外的な存在である作品を批評する。それ自体は批評というものに介在する普遍的な問

    BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 規範批評者の傲慢
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2007/08/09
    「傲慢」の一類型について。
  • BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - ボーイミーツガール、あるいはゼロ年代の想像力的覚書(メモ)

    精神的デフレスパイラル。そういうものがある。 慢性的飢えに侵されている人間の基礎代謝が減っていくように、欲望というものもそれを満たすことができなければ逓減していく。で、欲望を基礎にした行動力も逓減する。ので、さらに行動力によって充足される欲望が逓減する。以下スパイラル。 これを続けていくと、やがては生きているという最低限の欲望すら維持することが困難になる。欲望の代わりとなる外的な規律や環境による行動のスキームがそこに存在していればロボットとして生きていくことも可能だが、そうしたものすらなくなってしまうと、もう、死んでしまうしかない。 そうならないようにも、手の届く範囲の欲望はがめつくゲトしていくべきだし、若干がんばれば手が届く欲望は欲望し続けるのが、楽しく生きていくために重要ではあると思う。スノビズムというのは生きるための活力源になるということなのだ。 んと、哲学的ゾンビの実際的な問題点が

    BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - ボーイミーツガール、あるいはゼロ年代の想像力的覚書(メモ)
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2007/08/06
    自分以外の個人を環境に還元出来る人は、既に人としての枠組みを逸脱している。例外として臨床で見かけることはあるにせよ、彼らに「なる」ことは凡人には叶わない。
  • 2007-08-01

    今後の社会においては、コストが最重要課題となるので、生きるコスト、楽しむコスト、そうしたもの全てをコストダウンしていく必要がある。そういう最適化の中で、コストパフォーマンスの悪いエロゲのような趣味が生き残っていけるのか、という部分にはちょっと興味がある。それ以前に「エロゲはコストパフォーマンスの悪い趣味なのか」という問題提起も含めて。 それはそうとして。 blogの――特に日blogにおいて「私見」が主を占めるという当然の事実があって。もちろんそういう自意識の下、このblogも書かれている。ただまあ、それを「私見に過ぎない」とか切って捨てるには、相応の客観的クオリティを持った言説を自分で展開することが必要になるんじゃないかな。 yu_iさんとメッセでやりとりしたこと関連で、ちょっとメモ。 鍵作品ってのは、プラトニックな盟約や願望がストイックに履行される過程の中に、便宜的にエロスが組み込

    2007-08-01
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2007/08/03
    コメント欄にも注目。
  • BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 北極圏でのもふもふ議論について(メモ)

    id:p_shirokuma氏やid:i04氏のエントリ絡み、で。 もふもふ議論についての私見 ヲタの適応についてはデビッド・リースマン「孤独な群集」を参照すると良いかもしれない。適応型・アノミー型・自律型の三類型による分類と整理。 同調圧力の強い社会においてヲタはアノミー型に属することが多い、というのがシロクマ氏の意見ととられがちだけど、むしろアノミー型に限っての適応型か自律型への変化の必要性を主張していると読むのが正しいだろう。しかしあまりそういう風には読まれていない。 とはいえ「そう読めない辺りが、逆説的に読み手のアノミーを示している、と云える」といってしまうと「ジャングルは地獄」論法になるので、擁護側も注意が必要。 まあ、楽観論者が云うように「ヲタであることが許容されるレイヤー」というのは確かに広がりつつある。だけど、それはまだまだ小さいし、たとえ社会のレイヤー全部を覆えるほど大き

    BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 北極圏でのもふもふ議論について(メモ)
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2007/07/20
    マクロのレベルでオタク文化圏全体がどうか、という問題とミクロのレベルでオタク個人の人生行路がどうか、を勘案しながら、ミクロ・マクロの議論を平行していければいいなと思ったり。
  • BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 日々雑感070716

    久しぶりにTRPGのプレイができて少しうれしかった。 それはそうとして。 なんかエロゲ沢村にもラノベ村にもサブカル批評村にも入れないアウトサイダーだなあ、と思う。いやエロゲ沢村の住人ではあるんだけど、蝙蝠やってるわけじゃないのだけど、なんつーか、その、どこにおいても必要条件を満たしてないなあ、という気分が。ぼくのいる場所とか立場とかは、そこいらにとても近いのだけど、実は全然地続きじゃないんじゃないかな。こういう風に感じ始めるとblogを書くのが億劫になる。悪口とか荒らしはあまり気にならないんですけどね。 まあ、結局は、己の孤独を愛せ、ということになるのだろうし、そうでなければ届く範囲に電波を送り続けるしかないんだろうけど。 それはそうとして。 知り合いで、なんでも中途半端にこなせる人がいる。プログラムコードもシナリオも絵も書ける。でもどれも中途半端でしかない。ここまでなら「ハイハイどうでも

    BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 日々雑感070716
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2007/07/16
    怠惰はすべてをだめにする。お気をつけください。
  • 2007-02-15

    禁煙を一からやり直そうと決意した日。 ヤフオクを眺めていたらペンタコン・プラクチカの出物良品が3台、超お手ごろ価格で目の前を流れていって悔しい思いをしました。すごく安かったのに買い逃した! くくく悔しいっ。次は逃さん。あるのか次。普通にプラクチカ買おうとすると品薄でなかなかいいのが見つからないんだよなあ。やれやれ。まあこれも現状の機材を使いこなせるようになれという神の思し召しということにしておきます。日々精進。 しかし、社会主義の香りのする以外取り立ててとりえのないプラクチカですが、個人的には結構気になるカメラです。カールツァイス・イエナのレンズと組み合わせたら社会主義の元気がよかった頃の雰囲気に浸れること請け合い。いやそこまでの予算は組めないのですが。M42マウントだから豊富なレンズ資産がある=安い出物もある、というのが利点ではあるかなあ。そんなこと云えばかなりの数のカメラが当てはまるん

    2007-02-15
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2007/02/20
    これ、私がいない間にだいぶ書き換えられてるかな?まぁいいや、防衛機制について一緒にお勉強する良い機会を頂きましたよ。帰ったら何か書いてみます。
  • 2006-10-27

    酒たった1合半で胸焼けが。当に胃弱になったなあ。とりあえずToDo殴りに終始しており、生活的に余り書くことはなし。 そういやDMCの2巻を早く買わねばなあ。 仮眠を取ったら悪夢をみまくり。基的に「物語から出ようとして出られない」というタイプの夢を複数。そこで自分は変な館に閉じ込められて理不尽な規則に従う大槍葦人風美少女オートマタ(でも中身は自分。なんかの刑罰で魂だけオートマタにインストールされた)だったり、宇宙的存在と戦う虚無戦記@ケン・イシカワ的状況に置かれたりしていたのですが。おかげで眠りが浅くて仕方なく。しかしかなりネタが拾えたので、寝ながら作業していたという風に納得して、もう一度寝ます。 今日のURL http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20061017/p1 http://grev.g.hatena.ne.jp/REV/20061025/p

    2006-10-27
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2006/10/30
    その視点は黒童貞・白童貞の違いとか、鬼畜系と純愛系の違いとかにも通用しそうですね?
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