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ブックマーク / note.com/masayachiba (3)

  • 芸術作品とは「解けない問題」である|千葉雅也

    (無料記事です。連続ツイートを元にして書きました。) 芸術作品とは何か。作品に向き合う方法とは。ここでは、作品を見たり読んだりして、まず「ふわっと」感じること、それが大事で、それをいくらか言葉で膨らませる、ということについて説明したいと思います。 それは、作品の「謎解き」ではありません。しばしば、謎解き的に作品を読みたがる傾向があり、それはそれなのだけれども、僕が思うに、芸術鑑賞の「体」はそうではない。むしろ、「ふわっと」が大事。これはまあ、ものの言い方で、実は、「ふわっと」感じたことには「深いもの」が秘められている、という話になります。 芸術を「深く」鑑賞するためにこそ、むしろ「ふわっと」から始めたほうがいい、というのが僕の考えなのです。 芸術作品に対して、「何が言いたい」のかわからない、というのをよく見かけます。どうも人は、作品に「メッセージ」のようなものを期待しているようです。そし

    芸術作品とは「解けない問題」である|千葉雅也
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2023/08/14
    反コスパ的・反タイパ的に「問題そのものに滞留する。」/この論説文自体はとても読みやすくまとめられている。
  • フーコーにおける三種の統治|千葉雅也

    ちょっと確認しておく。フーコーにおける三種の「統治」について。箱田徹『フーコーの闘争』第二章を参照する。 フーコーと言えば「規律訓練(ディシプリン)」で、これは直接に命令されなくても自発的に従属するように教育・訓育するという近代的な統治のやり方。 その前段階にあるのは「主権」権力による統治で、これは直接に暴力を行使し、見せつけ、ビビらせて言うことをきかせるもの。主権権力と規律訓練は『監獄の誕生』で説明されている。 で、規律訓練の後に三つ目がある。これは「安全(セキュリティ)」と呼ばれるもので、講義録『安全・領土・人口』がその議論のメイン。セキュリティのポイントは、規律訓練とは違って、一人一人に質的に働きかける(一人一人の内面に介入する)のではなく、大きな数の「群れ」として人を扱って、その全体に対して外在的・物質的に働きかけて、一人一人完璧にではなく、漏れがあってもいいから統計的に「だいたい

    フーコーにおける三種の統治|千葉雅也
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2021/03/18
    王の時代の統治と近代の規律訓練による統治とリスク管理による統治の整理
  • セクシュアリティの消滅|千葉雅也

    人間は否定性をいわば「地層」のように織り込んで成長していく、ということの拒否に世の中が向かっている。子供にNOを言う力を教えるのはもちろん大事だが、この記事に示されているような「善意」は度が過ぎていると思う。 否定性に耐え、みずからの内奥に否定性を抱きかかえて生きるのをやめるなら、我々は「従来の意味での人間」ではなくなっていくだろう。すでにそうなり始めているのかもしれない。 最近、「自由な合意」ばかりが強調される。近代的主体の合理的判断、である。それに疑問を向けることは一見難しい。だが、人間の共同性はそれだけでは成り立たない。相互行為のあらゆる部分に合意を取りつけることはできない。人生には「流れでそうなってしまったことに耐える」面がつねにある。合意というのは、その基準点=主体が安全であることを意味している。つまり、主体が揺さぶられ、変質することの拒否である。その拒否こそがまさしく近代性、モ

    セクシュアリティの消滅|千葉雅也
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