タグ

ブックマーク / hyoshiok.hatenablog.com (8)

  • テストを書くこととテストをすることの違い - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    会社でレガシーコード改善ガイドの読書会をやっていて、次回で読了だ。4月に入ってから週に1回くらいのペースでやっていて、2ヶ月半くらいかかった。途中、ゴールデンウィークや所用で開催しないこともあったので、10回くらいで完走したことになる。 一人当たり、1章ないし2章くらいを担当して、その章に書いてあることを説明した後にみんなであーだこーだ議論をする。気になったことを質問したり、どうも良く分からないことをみんなで考えたりする。 テストがないコードはレガシーコードだ!というキャッチフレーズはわたしの心をとらえた。 参加者の皆さんとその価値観を共有できた事はうれしい。 現場での開発の実情をいろいろ教えてもらった。テストを書くことはあまり一般的ではないということにわたしは衝撃を覚えたのであるが、この読書会を通じて、テストを書かない開発というのがレガシーコードを作っている事に他ならないという共通の認識

    テストを書くこととテストをすることの違い - 未来のいつか/hyoshiokの日記
  • レガシーコード改善ガイド読書会 2010-04-03 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    先日、会社でレガシーコード改善ガイド読書会を行った。1回しかやっていないので、今後どんな感じになるのか正直わからないが、1回目の振り返りを記してみる。 〆会、テスト勉強会(社内)などで有志を募ったところ、なんやかんやで10数名が名乗りを上げてくれた。どんなペースでやるかとか運営をどうするかとかを相談するために、参加希望者で集まった。週1回(木曜日、19時開始)、担当の章などを決めた。第1章〜第5章までは各自で読んで、読書会への参加の動機などを含めて簡単なポジションペーパーとしてまとめることにした。 わたしが、読書会の世話役として、会議室の確保(空き会議室を見つけて予約しただけ)、開催のアナウンスなどを行った。資料置き場の共有ディレクトリ、社内Wikiなどを立ち上げた。*1 テストがないコードはレガシーコードだ! 「テストがないコードはレガシーコードだ」という強烈なフレーズが表紙に書いてある

    レガシーコード改善ガイド読書会 2010-04-03 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
  • 大漢和辞典の思い出 2008-10-08 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    補助漢字の思い出(d:id:hyoshiok:20060518#p1)で記したように今から20年前、わたしは補助漢字として知られる、JISX0212:1990の選定委員の一人だった。1988年にそれに参加して、その時、30歳になったばかしのペーペーのエンジニアである。当時の委員は、国産メインフレーマ、プリンターベンダ、印刷会社、新聞社、学識経験者などで委員の肩書も大手企業の部長とかがほとんどで、わたしのようなペーペーはほとんどいなかった。 世の中、メインフレーム全盛で垂直統合ベンダーが我が世の春を謳歌していた。マイクロソフトやアップルなどは、その委員会に呼ばれもしなかった。そういう時代である。 DECという米国企業の日の研究開発センターにいたわたしがなぜその委員の末席をけがすことになったかというと、国際標準機構(ISO)の文字コードのワーキンググループ(SC2/WG2という)のedito

    大漢和辞典の思い出 2008-10-08 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
  • 未来のいつか/hyoshiokの日記: コードを書く人を尊敬するということと人材育成

    再三再四ここで記しているようにわたしはコードを書く人を尊敬している。理屈をこねる人ではなくコードを書く人を尊敬している。こういうことをわざわざ言わなくてはいけないのは世の中がコードを書く人をはじめとする現場の人を尊重しているように思えないからだ。 人材育成だ何だと言っても世の中がコードを書く人を尊重しなければ若い人は決してそのような職業を選ばないだろう。若い人を単に安い労働力としてしか見なかったら、若い人は決してそのような職業に魅力を感じないだろう。当たり前の話である。 しかし、世の中の偉い人でコードを書く人の重要性をちゃんとどれだけ認識しているのだろう?お寒い。ぶるぶるっである。日の寝ぼけた経営者は間違いなくそのような認識はない。あんただよあんた、と某社のお偉いさんに言いたい。 産学連携ということの産業界にとってのメリットは若い人をリクルーティングできることである。若い人にプログラムの

    未来のいつか/hyoshiokの日記: コードを書く人を尊敬するということと人材育成
    pale-ale
    pale-ale 2005/11/13
    コードを書かないとなにも作れない
  • 未来のいつか/hyoshiokの日記 - 当事者になるということ

    時々思う。当に日と言う地域は評論家だらけだと。冗談じゃない。あんたはそれをやったことがあるのか?汗をかいたことがあるのか?それだけ言うのなら自分でやってみろ。 なんてことを言うのは大人気ない。大人はそういうことを言わない。ぐっとこらえてミステリアスな笑みを浮かべると言うのが正しい日人の姿だ。 時々日に対する違和感を持つことがある。そりゃ違うだろうと思うことがある。それに対してどのような態度をとるのか?どのような態度をとることによってその人なりの生き方が見えてくる。 多分わたしは自分が自覚するかしないかにかかわらづ日人が暗黙のうちに持っている掟をどこかで踏み外しているというような感じがする。それがいいことか悪いことかは別としてそのような感じを持つ。 90年代日IT産業の出口がなくなったとき多くの人は何もしなかったし、そもそもそこに問題があるとは思っていなかった。大丈夫か日なん

    未来のいつか/hyoshiokの日記 - 当事者になるということ
    pale-ale
    pale-ale 2005/10/24
    あつい
  • 『 プログラマの仕事』

    U-20プログラミング・コンテストの審査員を務めたミラクル・リナックス取締役の吉岡弘隆氏は「今年,ついにLinuxカーネル・コミュニティへデビューした」と嬉しそうに話していた。彼の書いたパッチがAndrew Morton氏がメンテナンスするLinuxカーネルに採用されたのだ。Linuxベンダーがカーネル開発に参加するのは当然かもしれないが,吉岡氏は今年47歳。47歳にしてカーネル・ハッカーのスタートラインに立った。その目標は「生涯一プログラマ」だそうだ。 http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/OPINION/20051017/222923/ 当にラッキーだと思う。ひょんなことで「仕事」でカーネルのパッチを書く機会を得てコミュニティにデビューできた。C言語とちょっとした経験さえあればプログラミングは誰でもできる。プログラミングは体力を使わないので年齢を重ね

    『 プログラマの仕事』
  • 未来のいつか/hyoshiokの日記 - オープンソースソフトウェアとフリーソフトウェア

    ご存知のようにオープンソースソフトウェアというのはNetscapeがソースコードを公開したころにその蛮勇を支援するためにEric RaymondやLarry Augastineらが考え出したフリーソフトウェアに対して与えたマーケティングメッセージみたいなものである。オープンソースソフトウェアをソースコードのライセンスとして捉えるのは誤解とまでは言わないが正しい理解からは遠い。 フリーソフトウェアは、Richard Stallmanがソフトウェアの独占的に利用に対し自分の経験からの信念により、ソフトウェアの自由がなによりも重要だという立場である。そしてその自由を保障するためにGPLというライセンスを発明した。Richard Stallmanは世の中のソフトウェアがすべてGPLになれば世界はよりよくなると信じている。 オープンソースソフトウェアというマーケティングメッセージを作り出した人達はG

    未来のいつか/hyoshiokの日記 - オープンソースソフトウェアとフリーソフトウェア
  • 2005-09-12

    いやはや、たまげた。民主党が守旧派みたいにうつちゃったんだろうなあ? りんごとオレンジを比べるな。いやはや仰るとおりなんですが、別に比べたっていいではないか?深海の動きはゆっくり。レイヤーが違う。人の芝生を羨ましがっているわけではなくて、そう読めたとしたらわたしの言葉足らずなんだけど、自分は自分、人は人。楽しくやっています。 LLは高速道路があるけど、カーネルハックにはないとしたら、じゃあ、その道を作ってやろうと考えるのが多分わたしのスタイルである。一体全体どのくらい時間と手間と暇がかかるかはわからないけど。ゴールが見えているわけでも、これと言ったビジョンがあるわけでもなくロードマップもなんにもないけど取り合えず一歩踏み出す。 で、そんな事を考えている時、昔の事を思い出した。10年前、シリコンバレーに単身乗り込んで、とりあえづRDBMSの実装部隊にほうりこまれた時の事だ。ソースコードは絶望

    2005-09-12
    pale-ale
    pale-ale 2005/09/13
  • 1