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2019年8月13日のブックマーク (5件)

  • hackerってどんな人?

    世界中のハッカーが集まる情報セキュリティイベント「Black Hat USA」と「DEF CON」が、今年も米ラスベガスで開かれた。サイバー攻撃やハッキング、そうした攻撃に対する対策などについて最新の研究成果が発表されている。 「hacker(ハッカー)」という言葉はともすれば「悪者」のイメージが付きまといがち。実際に、不正侵入や情報流出などの事件を伝えるニュースでは、この言葉が頻繁に登場する。最近では、米金融大手Capital Oneの情報を盗んだ容疑者も、かなりの凄腕と思われるhackerだった。 A hacker gained access to personal information from more than 100 million Capital One credit applications. (The Guardian) ハッカーがCapitol Oneのクレジットカー

    hackerってどんな人?
  • ファーウェイ、独自のOS「HarmonyOS」を発表 | スラド モバイル

    中国の華為技術Huawei、ファーウェイ)が8月9日、独自OS「HarmonyOS」を発表した(CNET Japan、AFP、Engadget日版、ギズモード・ジャパン)。 Huaweiは米政府の輸出規制対象となっており、そのためAndroid OSが利用できなくなる可能性があるのではないかとの懸念があった。そのため同社は以前より独自のOSを開発していることを明らかにしていた。 Huaweiによると、Harmonyはマイクロカーネルベースの分散型OSで、さまざまなデバイスで利用できるという。Androidとはまったく異なるOSとのことだが、Androidのようにオープンソースで提供され、アプリケーションはKotlinJavaJavaScript、C/C++で開発できるという。 同社によると、すでにスマートフォンでも利用できる段階になっているそうだが、「パートナーシップとエコシステム

  • 「たまごかけごはん」には発案者がいたって本当!?TKGの聖地の白米&生たまごは誕生秘話込みで美味しかった - メシ通 | ホットペッパーグルメ

    たまごかけごはんを「思いついた」偉人 たまごかけごはんを最初に考えた人物がいた──。 と言われると、ほとんどの人が「まさか」と思うに違いあるまい。あんなシンプル極まりないべ物、発案者もなにもないだろう、と。 ところが「いた」……らしい。明治時代に活躍したジャーナリスト「岸田吟香(きしだ ぎんこう:天保4年生〜明治38年没)」という人物である。 ▲岸田吟香(提供:美咲町役場) ジャーナリストのほかにも目薬の販売など実業家や教育者などとしても功績を残した岸田は、画家の岸田劉生(きしだ りゅうせい)や、宝塚歌劇団の演出家でラインダンスの考案者である岸田辰彌(きしだ たつや)らの父親でもあった。 そんな岸田吟香が生まれた場所が、現在の岡山県 久米郡 美咲町の栃原(とちばら:かつての久米北条郡 中垪和谷(なかはが たに)村)。 実は現在、美咲町はたまごかけごはんで町おこしをしており、町内にある基幹

    「たまごかけごはん」には発案者がいたって本当!?TKGの聖地の白米&生たまごは誕生秘話込みで美味しかった - メシ通 | ホットペッパーグルメ
    palm84
    palm84 2019/08/13
  • DomainWatchのシステムをリニューアルしました | 匿名ブログ

    ドメインのWHOISやサイトの情報を調べることのできるサービスDomainWatchですが、7月半ばからシステムに問題が発生し、新規にドメインのWHOISを照会する機能を停止していました。 — 具体的に言うと、DomainWatchのデータベースはMySQL(MariaDB)を、全文検索にはMySQL用のストレージエンジンMroongaを採用していたのですが、件数が多すぎたせいでMroongaはキーのサイズが4GBまでという制限に引っかかってしまいました。 MySQLの上限に達してしまった もう再構築するしかない pic.twitter.com/ZufuMpMo1v — Cheena (ちーな) (@cheenanet) 2019年7月17日 (MySQLの上限と書いていますが、Mroongaの制限が正しいですね) そこでMroongaではもうあかんということになり、長らく検討していたEl

    DomainWatchのシステムをリニューアルしました | 匿名ブログ
  • 【太平洋戦争】ポツダム宣言受諾後も降伏しなかった日本兵 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    太平洋戦争が終結した後もジャングルに残った残留日兵 残留日兵と聞いて、パッと思い浮かべるのはおそらく、28年間グアムに居残った横井庄一さんと、29年間フィリピン・ルバング島に居残った小野田寛郎さんではないでしょうか。 敗戦の報を聞いて、大部分の人は悔しく思うと同時に「やっと国に帰れるぞ」と思ったはずなのですが、横井庄一さんの「恥ずかしながら帰ってまいりました」という印象深い言葉が示すように、当時の軍人には敗けてノコノコ帰るくらいなら死んだ方がマシというメンタリティを持っていた人が少なくありませんでした。横井さんや小野田さん以外にも大勢、居残って戦う道を選んだ日軍人がいました。 ほんの一部ではありますが、あまり名の知られていない残留日軍人をピックアップしていきます。 1. 大場栄 「あまり知られてない」と言っておいて、のっけから有名な方を紹介してしまいます。すいません。 大場栄さんの

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