「失言」の元総理に浴びせられた激しいバッシング。不適切発言には違いないが、息苦しさも残る。人は心の内まで道徳を強要されねばならぬのか。「寛容」なはずの「リベラル」がなぜ「不寛容」を招くのか。『不寛容論』の著者、森本あんり教授が考察する、現代社会の逆説(パラドックス)。 *** 昨年末に『不寛容論』(新潮選書)という本を刊行しました。それで先日、東京五輪組織委員会森喜朗前会長の発言が問題になったとき、産経新聞に「寛容という切り口で考えるとどうなるか」という依頼を受けて、論評を書きました。 その後、同委員会の有識者懇談会メンバーで英国出身のデービッド・アトキンソン氏が、同じように日本人と寛容について書いているのを朝日新聞で読みました。アトキンソン氏によると、「日本人は多神教だから寛容だ」というのは事実ではなく願望だ、ということです。 わたしも、拙著では統計の数字を示して似たようなことを書きまし