今回、チッソ元従業員の山下善寬(よしひろ)さんにお話をうかがいました。 山下さんは、チッソで働きながらも、患者支援に長年あたってきた方です。 水俣の町の中核だった化学メーカーチッソの工場での実態や、従業員がどのように水俣病と向き合ってきたのか。 水俣市にある展示資料館で、山下さんが抱えてきた葛藤といまの思いを聞きました。 (NHK熊本放送局アナウンサー 佐藤茉那) チッソは憧れだった 水俣市に住む山下善寬(やました・よしひろ)さん、83歳です。 昭和31年。地元の中学校を卒業後、チッソ水俣工場に就職しました。 かなりの人が高校に行くよりも、という形でチッソを受験しましたので。赤飯炊いたりなんかするというか。近所の人呼んでごちそうするとか。そういうのもあったぐらいのですね。やっぱりチッソに入れたことは誇りに思えるというか。 ▲研究所があった場所を指さす山下さん 水俣病が公式確認されたのは、昭
