頼朝が鎌倉を拠点にしたのは、「源氏ゆかりの地」であることが最大の理由だといわれます。南は海に面し、他の三方は山に囲まれているので、鎌倉は「自然の要塞都市」というわけです。大迫秀樹氏が著書『「鎌倉殿」登場! 源頼朝と北条義時たち13人』(日本能率協会マネジメントセンター)で解説します。 【関連記事】北条政子が頼朝の元へ…この駆け落ち婚が源頼朝を「鎌倉殿」に 「要塞都市」鎌倉はどのような場所だったか ■持続可能な“コンパクト・シティ” 源頼朝が「鎌倉殿」と呼ばれることになったのは、当然、武士政権の拠点を鎌倉に置いたことによります。鎌倉はどのような地だったのでしょうか? 幕府が開かれるまでの鎌倉について、『吾妻鏡』は〈漁民と老人しか住んでいない辺鄙な田舎だった〉とディスっています。 しかし、すでに源頼義が11世紀半ば、由比ヶ浜に鶴岡八幡宮を勧請していました。 規模はともかく、そこそこ開けていたと
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