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ブックマーク / tomii23.hatenablog.com (2)

  • 武田鉄矢さんにおける人生の節目を2度ほど生で目撃している - 日日平安part2

    卒業の季節である。今の人気卒業ソングはよくわからないが、かつて『贈る言葉』が学校の卒業式の定番曲であったことは知っている。1979年11月、海援隊のポリドールレコード移籍6枚目のシングル曲である。武田鉄矢さんが主演したテレビドラマ『3年B組金八先生』第1シリーズの主題歌として使われ、レコード売上が100万枚を超える大ヒット曲になった。 海援隊は、1972年(昭和47年)、武田鉄矢さん、千葉和臣さん、中牟田俊男さんのメンバーでバンドデビューした。当初は全く売れなかったが、武田さんが母親のイクさんに向けた『母に捧げるバラード』(1973年)がヒットし、世間の脚光を浴びた。このバンドのリーダーの武田鉄矢さんは現在、歌手、俳優、タレント、作詞家として活躍されている。 横浜駅西口に三越が開店したのは、1973年である。しかし、2005年には閉店して現在はヨドバシ横浜になっている。私が無名の海援隊を目

    peketamin
    peketamin 2014/03/02
  • フィルム写真の終焉直前に業界の現場ではデジタルカメラなど眼中になかった - 日日平安part2

    100年以上の歴史ある銀塩写真が崩壊した要因は、デジタルカメラの需要がフィルムカメラを上回り、銀塩写真の必要性が失せたということである。だれもがご存知のことと思う。さて、そのときの業界の現場ではなにが起きていたのだろう。 それ以前のロールフィルムの需要はどうであったか。1990年代後半は出荷数が4億を超え、1997年(平成9年)から1998年(平成10年)では、日国内で最多の約4億8283万を出荷していた。そして、デジタルカメラの普及で売り上げが激減。 全盛期の10年後である2008年(平成20年)には、10分の1近くの約5583万にまで落ち込んだ。 一部のフィルムメーカーでは倒産や写真フィルム事業からの撤退。存続のメーカーでもラインの縮小という事態に陥っている。カメラ用フィルムの製造には巨額の設備投資が必要なため、一度廃業すると再生産は極めて困難といわれている。 ちなみに、最盛

    フィルム写真の終焉直前に業界の現場ではデジタルカメラなど眼中になかった - 日日平安part2
    peketamin
    peketamin 2014/02/24
    森を見て木を見なかったらこうなる、ということなのだろうか。ユーザーの現場をバカにしないように気をつけようと思った。あと技術会社ならやはり技術に慣れのある営業が良いとオモタ
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