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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (145)

  • 「ウェイがですねー、サブカルチャーの上前をはねましてねー」 - シロクマの屑籠

    「あー、あー、テステス、 「えー、消費個人主義の申し子たるオタクがー、サブカルがぁー、終わりましてー、それでマイルドなヤンキーがー、ヤンキーがぁー、ユーチューブーもブログもSNSも席巻いたしましてー、 (シロクマさん!ヤンキーじゃなくて、ウェイ、です!ウェイ!) 「失礼しましたぁー、ウェイがですねー、ユーチューブーもブログもSNSも席巻いたしましてー、わたしたちのですねー、コンテンツに対する attitude がですねー、ひとつに束ねられたのでございます。 「ニッポンの差異化ゲームとはなんだったのでしょうかー、ニッポンのサブカルチャーは今どんなかたちをしているのでしょうかー(ヒック)、オタクもサブカルもヤンキーも死んだんです、すいませんでしたー、っ当にすいませんでしたー、正しくない発言でしたねー(ヒック)、解脱してるひとや、まだ塹壕に籠って消耗しているひともいるんですけどねー、ウェイがで

    「ウェイがですねー、サブカルチャーの上前をはねましてねー」 - シロクマの屑籠
  • スカイリムで自由を与えられた俺は、自分自身の内面に束縛された - シロクマの屑籠

    The Elder Scrolls V : Skyrim 【CEROレーティング「Z」】 出版社/メーカー: ベセスダ・ソフトワークス発売日: 2011/12/08メディア: Video Game購入: 8人 クリック: 86回この商品を含むブログ (73件) を見る スカイリムskyrimは、世界がボーンと与えられて、あとは何をするのも自由なロールプレイングゲームだ。 その自由さ加減は、ある意味、心理テスト*1や箱庭療法の箱庭にも似ている。どう遊んでも構わない箱庭が与えられるからこそ、プレイヤーの性格やポリシーや願望がそのまま反映される。 俺の場合、それが如実に出ていると思ったのは「名前の入ったNPCキャラクターを殺すのがとても苦手」という事だった。 ゲームの特性と演出のお陰で、このゲームのNPCキャラクターからは、生活臭というか「その人がその世界で生きている感」を感じ取りやすい。その生

    スカイリムで自由を与えられた俺は、自分自身の内面に束縛された - シロクマの屑籠
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    peppers_white 2015/08/23
    意外と辿る道は違うんだよな、mod入れて状況変わるとまた別の判断を叩きつけられるし
  • 「殴って言う事をきかせる」が禁止された社会の「ことば・文字・表情」 - シロクマの屑籠

    昭和五十年代〜六十年代を思い出すと、あの頃はまだ、コミュニケーションの方法として「殴って言うことをきかせる」――つまり狭義の暴力がかなり含まれていた。そして幾らかの社会的コンセンサスが残存していた。 たとえば「体罰」。都市部の進歩的な学校では、体罰なんて昭和の終わりには消えていたのかもしれないけれども、私が育った片田舎では「体罰」は残存していた。小学校の教諭がクラスメートを教室の後ろにずらりと並べ、全員を往復ビンタしてまわるようなことが普通に行われていた。同じことを2015年にやったらとんでもないことになるだろう。しかし誰も問題にしなかったし、先生はもちろん、ビンタをされる私達もそのことに疑問を感じていなかった。保護者やPTAが問題にすることもなかった。教師が児童に影響を与えるにあたって、鉄拳制裁やビンタは「あってもおかしくないもの」とみなされていたのだろう。 学校外でも「殴って言うことを

    「殴って言う事をきかせる」が禁止された社会の「ことば・文字・表情」 - シロクマの屑籠
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    peppers_white 2015/07/13
    もうちょっとこの手の学問が認識されるといいんだけどなあ
  • きっと、スマホ的感性の時代がやって来る - シロクマの屑籠

    近頃の通勤風景を眺めていると、新聞を読んでいるのは四十代より上ばかり。雑誌を手にしている人も珍しくなりました。 三十代より下の男女が手にしているのはもっぱらスマホです。ゲームもスマホ。小説もスマホ。音楽もアニメもスマホ……。あらゆるサブカルチャーコンテンツをスマホで楽しんでいる景色を目にします。 そういう風景を眺めていて思うんですよ。「ああ、将来のサブカルチャーは、こうやってスマホを覗き込んでいる人達と、その感性に牽引されていくんだろうなぁ」と。 若い頃にどんなメディアに親しんでいたのか・どんなメディアでサブカルチャーを愛好していたのか――これって、すごく重要だと思うんです。20世紀に各ジャンルの漫画が円熟を迎えられたのは、それぞれの初期の名作に親しんで育った人達がいればこそ。アニメやゲームにしても、80〜90年代に一生懸命にテレビにかじりついていた人が沢山いたから、クリエイター側にも“パ

    きっと、スマホ的感性の時代がやって来る - シロクマの屑籠
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    peppers_white 2015/03/05
    ユーチューバーは単なる一般人でありPCでの一般的な消費者、ここを間違えると大ポカする
  • 「良い大学に行きたければ、恵まれた家庭に生まれなさい」――成人の自由にもとづく新しい“世襲制” - シロクマの屑籠

    釣りっぽいタイトルだけど、実際、そうなってきている。形式としては子どもの自由な学業選択は成立しているが、実情としては、生まれた家庭の環境によって大きなハンディやボーナスがつくようになっていて、個人の努力で覆すのは大変難しい。そのさまは、さながら新システムの“世襲制”のようだ。 子ども自身の努力で、どこまで“這い上がれる”のか 戦前の日では、子どもの進路や学歴は限りなく運命に近かった。身分・家庭環境・経済事情・性別・きょうだいの出生順といったものによって、入れる学校や選べる進路が決まっていた。そうした運命に抗らうためには、ずば抜けた素養と、なによりも幸運が必要だった。 戦後はこれが緩和されていった――家庭環境や経済的問題は依然として大きかったが、高校進学率は向上し、やがて大学進学率も高くなっていった。そうした状況下で私立大学や受験産業がマンモス化していったけれども、それらを飛び越え、地方の

    「良い大学に行きたければ、恵まれた家庭に生まれなさい」――成人の自由にもとづく新しい“世襲制” - シロクマの屑籠
  • 「あの時代」のオタク差別の風景と「脱オタ」について - シロクマの屑籠

    オタクがサブカルを嫌いなのは、サブカルが「オタクを馬鹿にして優越感を搾取する文化」だから - 自意識高い系男子 リンク先の記事を読み、90年代のオタク差別を思い出した。実際、90年代〜00年代前半にかけて、クラスメートに向かって「アニメ大好き人間です」「ゲーム趣味です」と表明できるオタクは少なかったと思う。ネットの論調も“オタクは差別されるもの”という前提で、だからこそオタク自虐芸が流行していたわけで。 ただ、中森明夫さんの「おたくの研究」や宮沢章夫さんの『80年代地下文化論』を引用したうえで「サブカルがオタクをバッシングしていた」と看做しているのは、ちょっと違うかな、と思う。中森さんや宮沢さんはサブカルだったのではなく新人類だったのであって、対立の図式は「オタクvsサブカル」ではなく「おたくvs新人類」だった。私が文献的に調べた範囲では、「サブカル」という四文字スラングは80年代にはま

    「あの時代」のオタク差別の風景と「脱オタ」について - シロクマの屑籠
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    peppers_white 2014/12/12
    今はもうオタクをやめても幸せになれないかもしれないし、収入も上がらなそう
  • 学力だけじゃない、体力もカネで買う時代 - シロクマの屑籠

    最近、建設業の人手不足の話を耳にする。帝国データバンクの2014年調査によれば(参照:pdfファイル)、建設業者の59.7%が正社員不足に陥っているという。飲業や情報サービス部門でも人手不足が目立つ。 その一方で、「正社員になりたくてもなれない」という嘆きの声も聞こえてくる。建設業やサービス業で正社員が足りないなら、正社員になりたくて仕方の無い若者をリクルートしてくれば良いのではないか――そういう年配者の声を聞いたこともある。一昔前まで、建設作業員が土方(どかた:差別用語)と呼ばれて社会問題になっていたぐらいだから、肉体労働なら誰にでもできると見做しているのかもしれない。 だが、そういう見方は時代錯誤も甚だしい。建設業の高度化が進んだというのもあるが、そもそも、持続的に身体を動かせる若者は今どれぐらい存在しているのか?持続的に身体を動かす能力は、若者の大半が持っているものではなくなったし

    学力だけじゃない、体力もカネで買う時代 - シロクマの屑籠
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    peppers_white 2014/10/29
    無論pcやインターネットがなければ平均レベルに行き着くための費用はもっと上がる
  • お金がなければ恋愛できない社会。 - シロクマの屑籠

    若者が草化した当の理由 - Willyの脳内日記 リンク先では、若者が恋愛志向でなくなった理由として、「経済的に貧しくなったからだ」と断言している。若者の行動に経済事情が大きく関わっていることを否定する必要は無いが、それを「当の理由」として「断言」するのは語調が強すぎる、と感じた。 例えば、アジアやアフリカの途上国を思い出してみてほしい。途上国の若者は、現在の日の若者と比較してさえ、経済的には貧しい。もし、経済的な貧しさが若者の草化の鍵だとしたら、貧しい国々の若者こそ草化していそうなものだ。 あるいは過去の日。さだまさしや中島みゆきが流行していた頃の日は、もっと若者が貧しかったはずだ。独り暮らしといえばバストイレ共同の木造アパート、現在の基準からすれば不便な(ときには不潔な)生活をしていた頃、草系の若者は流行していただろうか?そうではあるまい。恋愛結婚の機運が高まるなか、

    お金がなければ恋愛できない社会。 - シロクマの屑籠
  • 新しい時代を創るのは老人ではない――『ガンダムUC』感想 - シロクマの屑籠

    機動戦士ガンダムUC [MOBILE SUIT GUNDAM UC] 7 (初回限定版) [Blu-ray] 内山昂輝Amazon 【注意】この文章は『ガンダムUC』第七話までのネタバレだらけです。未見の人はご注意ください。 「新しい時代を創るのは老人ではない。」 『ガンダムUC』を見終わった後、シャア・アズナブルのこの台詞を思い出した。 (以下、『ガンダムUC』のネタバレ記事です。未見の方は読まないでください) ここから、『ガンダムUC』最終話まで観た個人的感想を書く。 『ガンダムUC』には様々なテーマが埋め込まれている。そんななかで、アラフォーの私が一番考えさせられたのは、世代から世代へ引き継がれる時代の流れと、そうした時代の流れのなかで、一成人としてどのように身を処すか、ということだった。 初代ガンダムテレビ放映されて三十年以上。『逆襲のシャア』から数えても四半世紀の時が流れた。青

    新しい時代を創るのは老人ではない――『ガンダムUC』感想 - シロクマの屑籠
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    peppers_white 2014/06/08
    ガンダムやMSという存在抜くとありえちゃうのがなあ・・・、ガンダムの世界は特殊な例を除いて一貫して宇宙生命体がいないという表現がSFであり不気味/そしてコロニーという存在がまた国家の枠組みとなるのも
  • 脳内補完トレーニング装置としてのコンピュータゲーム - シロクマの屑籠

    マジョリティが二次創作や脳内補完に親しんでいる社会 - シロクマの屑籠 リンク先でも触れたように、最近は、物語生成システム、あるいはデータベース消費に該当するようなコンテンツ消費が盛んだ。素のままのキャラクターやコンテンツを愛するのではなく、「疎な情報でつくられたキャラクターやコンテンツを消費者それぞれが願望や想像力で肉付けし、そうやって二次創作的・脳内補完的にキャラクターやコンテンツを消費する」作法が、すっかり普及した。 なぜ、現代の青少年は二次創作や脳内補完をやすやすとやってのけるのか?その作法を、いつ、どこで、どうやって身につけたのか? この問いの答えのかなりの部分は、「ニコニコ動画経由で、そういう楽しみを覚えたから」「ライトノベルを読んでいたから」「それらしいアニメを見続けたから」でカヴァーできると思う。あまり多くないかもしれないけれど、『ひぐらしのなく頃に』のような、ビジュアルノ

    脳内補完トレーニング装置としてのコンピュータゲーム - シロクマの屑籠
  • 地方オタクの歳の取り方と、首都圏の人脈について - シロクマの屑籠

    以下に書き散らす内容は、私自身が実際に観てきたものと、他の地方在住オタクな人達から聞いた話をもとにした、ひとつの推測とあらかじめ断っておく。 90年代のある時期、それこそウィンドウズやインターネットが地方の学生オタクにも手の届くものになった頃ぐらいから、地方でオタクをやるのは難しくなくなった、とされている。少なくとも、首都圏で“おたくエリート”が頑張っていた頃よりは、そうだろう。コンテンツに手が届きやすくなったし、マスボリュームが大きくなって友達も探しやすくなった。漫画やアニメやゲーム好きの多く集まる学校に進んだ高校生なら、同好の士をある程度は見つけられたに違いない。 問題はここから。 じゃあ、地方でアニメやゲームをいつまでも愛好し続けるのも同じぐらい簡単か、となると、これが結構難しいようにみえる。オタクオタクでい続けるための難易度・しんどさは、首都圏と地方県庁所在地、中小の地方都市や過

    地方オタクの歳の取り方と、首都圏の人脈について - シロクマの屑籠
    peppers_white
    peppers_white 2013/11/15
    いろいろ浅く齧ってた地方の家の親は逆にオタクコンテンツを漁りだしたりアイドルイベントに行きだした、まあ虫もダメで改築した家族だからある意味仕方なしか
  • ブログがSNSにトラフィックを奪われる時代は終わった。ブログがSNSからトラフィックを集める時代が始まっている。 - シロクマの屑籠

    TwitterやFacebookの次は何が来るか」だって?そりゃお前、ブログに決まってんだろ! | Tribal Marketing ❤ ikedanoriyuki.jp 前から勘ぐっていたけれど、なんとなく言い辛かったことを後押ししてくれる記事をみかけた。「ブログはオワコン」ではなく「twitterやFacebookの次はブログ」。私もそう思う。 ブログがSNSにトラフィックを奪われる時代は終わった。 twitterSNSが流行しはじめた頃、ブログが終わった論が流行した。その際、根拠として言われていたのは「SNSにブログはトラフィックを奪われる」と「ブログは可処分時間をSNSに吸い取られる」だ。 一見、これらは間違っていなさそうにみえる。2009〜2010年頃にブログのアクセス解析を眺めていた頃には“どうやらSNSにお客さんを持っていかれているらしい”という体感もあった。当時、ブログ

    ブログがSNSにトラフィックを奪われる時代は終わった。ブログがSNSからトラフィックを集める時代が始まっている。 - シロクマの屑籠
    peppers_white
    peppers_white 2013/04/10
    次は当然普通のサイトがSNSで繋がっていくと、いや昔からそうか
  • 「自己中心的な若者」より「自己中心的な老人」のほうがヤバい - シロクマの屑籠

    選挙の季節が近づいてきました。私達の意志を政策に反映させる機会なので、投票したいと思っています。 ところで、選挙のような社会的な意思決定は、自分自身の都合だけを考えるのでなく、一緒に暮らしている人々や社会を形成している様々な人々の立場・状況にも思いを馳せつつ、ベターと思われる選択をするのが良いと私は思っています。個々人の欲求や自由が尊重されるべきなのはもちろんですが、自分以外の他人の立場・状況も踏まえ、そのうえでYesやNoを言えるような大人が必要でしょう。 だから、年長者にありがちな「最近の若者は自己中心的」や「最近の若者は他者性が欠落している」といった“注文”も、あれはあれで、わからなくもありません。 自己中心的なのは「若者」よりも「年長者」では? しかし実際に街の風景を思い出すと、「最近の若者は自己中心的」……とは思えません。 街で見かけた、「うわっ!こいつ自己中心的だ!ひどい!」と

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  • 素人が増えただけで仕事を失うプロなんて、淘汰されるしかあるまい - シロクマの屑籠

    ネットによって文章を書くようになった人たちは消費者でもなくクリエイターでもなかった - Togetterまとめ 上記のまとめを読んでいると、なんとなく、「うんうん、その通りだね。プロの社会的価値を下落させる何者かを、“あるべき顧客の姿”に戻さないといけないね」と頷きたくなる。しかし少し真面目に考えてみれば、他業種・他分野では到底通用しない考え方だと気づかざるを得ない。 他業種・他分野では、“プロの社会的価値を下落させ、顧客を喪失させる何か”の実例はいくらでもある。 例えばマイカーの普及は、馬車の御者や人力車といったプロの仕事を奪い、後にはローカル鉄道や路線バスの採算性をも破綻させた。人々が欲しかったのは、馬車でも人力車でもなく「素早く目的地に到達すること」だった。だから「素早く目的地に到達すること」がマイカーで達成されるようになれば、馬車や人力車やローカル鉄道にお金を払いたいとは誰も思わな

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  • アニメやゲームと一緒に酒を嗜む――その際の注意点など - シロクマの屑籠

    アニメを観ながら酒がうまい!! - - Togetterまとめ リンク先に「アニメ・ノベルゲームを鑑賞しながらの飲酒、まことに素晴らしいものだと思うのです。」と書いてあるが、実際、素晴らしいとしかいいようがない。 アニメ/ゲームが主役か、酒が主役か アニメやゲームと一緒にお酒をやるのはとても幸せで、ぶっちゃけ、何を観ながら何を呑んでもそこそこ幸せになれそうではある。しかし「この組み合わせは勿体ない」「これだったら他のお酒にしたほうがいい」といったマリアージュ*1のようなものはあると思う。喩えるなら、年代物のボルドーワインに北海道産の素晴らしいイクラを合わせて両方を台無しにしてしまうような、そういうアニメ/ゲームと酒との組み合わせはなるべく避けたいところだ。 その際に注意すべきは、 「気で楽しむべきアニメ/ゲームなのか」 「気で嗜むべきお酒なのか」 だろう。 例えば『魔法少女まどか☆マギ

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    peppers_white 2012/09/06
    しょっちゅう酒を飲むとても有名なゲーム製作家もいることだしね
  • 大半のお年寄りは「若いのに迷惑をかけたくない」と思っているのに…… - シロクマの屑籠

    404 Blog Not Found:備忘録 - そもそもなぜ老は敬われてきたのか 「お年寄りを見殺そう」という第三極の政治勢力: やまもといちろうBLOG(ブログ) 最近、真面目そうな顔写真が入ってイメージチェンジした『やまもといちろうblog』と、アルファブロガーの小飼弾さんの『404 Blog Not Found』に、リンク先のようなディスカッションが出てきました。twitter等でたくさんの意見が寄せられているのを観るにつけても、そろそろ時代の潮目なのかな、と思わずにはいられません。昨今の高齢化・少子化を巡る情勢や時代の閉塞感を思うにつけても、「お年寄りどころじゃない。それより子育てを。未来を。」的な意識が高まってくるのは当然といえば当然でしょう。 もちろん私も、そういった話題に強い関心を持っていますし、そういう目線でメディアを眺めています。また、こうした社会全体の【お年寄り/子育

    大半のお年寄りは「若いのに迷惑をかけたくない」と思っているのに…… - シロクマの屑籠
  • オタも普通に結婚するようになったなぁ - シロクマの屑籠

    カッコつけるのは、もうヤメだ。ダラダラと生存報告。(仮) リンク先は、2009年に書かれた記事である。「二次元キャラクターしか愛せないオタク」 vs 「現実女性を愛する非オタク」という対比が通用しなくなり始めていることへの気付き・詠嘆が綴られている。2009年といえば、「オタクのライト化」がいよいよはっきりし始めた時期でもある。『けいおん!』『化物語』が放送され、『劇場版 ヱヴァンゲリオン 破』の映画館では若いカップルをたくさん見かけた。 そして2012年。 こんな番組がオンエアーされた。↓ 【オタク婚活パーティー】 一般女性がついにオタクを狙い始めたwwwww :ニュー速VIPブログ(`・ω・´) ひどい煽りタイトルだけど、事実無根というわけでもないと思う。 実際、私の周囲では、古参オタク達*1が最近バタバタ結婚している。たまたま今日もtwitter上でオタの結婚式の実況ツイートを見かけ

    オタも普通に結婚するようになったなぁ - シロクマの屑籠
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    peppers_white 2012/03/11
    ZUN氏の結婚には触れないのか
  • 街で、ものすごいクレーマーを見た。 - シロクマの屑籠

    http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/11523 上記リンク先を読んだ直後、たまたま街で凄いクレーマーを見かけてびっくりした。会話から察するに、何かの契約内容にクレームをつけているらしかったが、クレーマーの言動があまりに強烈すぎて、見ているだけでしんどかった。対応した店員は、たぶん今日一日グロッキーだろう。 クレーマー「お前が説明しなかったから頭に来てるんだよ!」 店員「契約の内容については、事前に説明しました。これが、署名の写しです」 クレーマー「そんなのマトモに読んでるわけないだろ!私も忙しいんだから!(激怒)」 店員「では、説明を受けた事実は確かなんですね」 クレーマー「お前、私のこと馬鹿だと見下してるだろう!頭に来た!(さらに激怒)」 うわぁ……こんな人、当にいるんだ……。 クレーム対応という次元で見れば、店員側にも非があるかもしれない。「もっと上手い

    街で、ものすごいクレーマーを見た。 - シロクマの屑籠
  • 勉強できる人しか便利に暮らせない社会 - シロクマの屑籠

    いまの日人は、とても便利な世の中を生きている。 コンビニもインターネットもあるし、自分の人生もだいたい自由に選択できる。医療も治安もハイレベル。昔の人が見たら、さぞ羨ましがるだろう。 そのかわり、賢くないと――あるいは勉強しないと――何もできない時代になってしまった。 事務職に就きたいと思ったら、ワードエクセルは当たり前。子育てしようと思った未来のおかあさんも、子育てを一から勉強して、何が安全で何が危険か、自己判断しなければならない。行政サービスを利用する際も、あの煩雑な手続きを理解して申し込むのは一苦労だ。便利さにアクセスするためのハードルは、見えにくいところでとても高くなっていて、その恩恵に与れるのは、自分で調べて勉強できる人・賢い人だけだったりする。賢くない人・勉強もしない人ほど、自由選択の範囲は狭くなり、日常生活のリスクも回避しづらくなる*1。だから冒頭の文章は、正確には「いまの

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  • 40歳が「何者かになりたい」と欲求すること - シロクマの屑籠

    「きっと何者にもなれない」あなたへ - 琥珀色の戯言 上記の文章を見て、色々と考えさせられた。 思春期の若い人にとって、「何者かになりたい*1」と願うことは悪いことではないと思う。というより、とても大切なことだろう。思春期においては、等身大の自分自身より大きな目標に憧れて「自分もああなりたい」と思うことは、技能の模索という意味でも、アイデンティティを確立させる意味でも、自分を引っ張っていく力となる。若いうちは、背伸びした服を着ようとするぐらいでちょうどいい。 そして、その背伸びが挫折したらしたで、それは「ああ、俺はこういう人間なんだな」と自分自身を知る手助けにもなる。そういう意味では、思春期のアイデンティティ探索(=私はどういう人間なのかを知る)というのは、成功だけではなく挫折によっても進行する、と言える*2。 しかし、そのような「何者かになりたい」という思いを40歳ぐらいになっても燻らせ

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