「粉味噌(みそ)も遂(つい)につきたり、明日よりは、塩ふりかけて粥(かゆ)はすすらむ」「米なくば椰子(やし)をくらいて、椰子なくば草の葉嚙(か)みつ闘いて止(や)まじ」。餓島と呼ばれた南太平洋のガダルカナル島で米軍と戦った日本軍兵士の和歌である▲2万人の死者のうち4分の3は病死や餓死とされる。敗勢が決定的になると、生き残ったジャングルの「ヒョロヒョロの兵士」たちに非常招集がかけられ、1万人が撤退を迫られた。80年前の2月上旬のことだ▲大本営は「撤退」を使わず、目的達成後の「転進」と発表した。厳しい報道統制下、小紙もそのまま伝え、「南太平洋新作戦の基礎確立」と報じた。戦後も語り継がれてきた「戦争のウソ」の典型例である▲同じ頃、欧州でも第二次大戦の転機となる戦闘が終わった。ボルガ川沿いのソ連の工業都市スターリングラードでの独ソ戦だ。半年に及ぶ市街戦で200万人以上が死傷した「史上最大の激戦」は