思えば、平成4年9月28日の早暁のことだった。 2年ぶりに信州小諸に向かう途上に降りた新大阪駅の12番ホームで、最近トンと目にしないため、てっきり絶滅したと思っていた「痰壷(タンツボ)」を発見した。 太いホームの柱のネキに、ちんまりと納まっていた。 それも赤ペンキの工部省マークのついたホーローびきの出自正しき純正品である。 おおっ!と唸り、新幹線の発車時刻を気にしながらも、通行人が少なくなるのを待ってカバンからカメラを取り出し“激写”した。 上記写真の部分アップすると、周辺のガラス質がかなり剥げ落ちて時代を感じるものとなっている。 (参考)こちらは、昭和48年8月の大阪駅東口コンコースのもの。 さすが水都の玄関口らしく、重厚な大理石の角柱と対比しても存在感満点にして、華麗なる木製の四足高台付きの特上品である。 肺結核予防規則(明治37年2月4日内務省令第1号) 第1条 学校、病院、製造所、
![鉄道施設の“痰壺(たんつぼ)”を考える](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/361557bba345b4f54ab1ef0b3de0aaa00fa3ce6c/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblog-imgs-43.fc2.com%2Ff%2Fu%2Fz%2Ffuzzyphoto%2F20121203202908266.jpg)