[新潮社 2002年1月30日初版] わたしが、三島由紀夫についてはじめて、なにか変だなというか違和感のようなものを感じたのは、その死の日の夕刊を見て、三島が死の日の朝、「豊饒の海」の最後の部分の原稿を編集者に渡していたという記事を読んだときであった。わたしは、三島は何らかの事件にまきこまれて偶然に無意味に死ぬことを望んでいるのだと思っていたので、その事件の詳細がまだわからなかったその時点では、三島が世間をからかうために遊びで作った「楯の会」の会員が三島の冗談を愚かにも真にうけて、「先生立ちましょう」などというので、それに付き合って死んだのだのだろう、と思ったのである。そして、そういう行動により「豊饒の海」が未完で終わることによって、世には文学よりももっと大きなものがあるという主張、三島の晩年の文学嫌悪の主張をを貫徹することになったのだと思った。それが、「豊饒の海」を完結させて死ぬなんて、