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ブックマーク / vetechu.hatenablog.com (5)

  • 別のところでみる夢-丸田洋渡試論 - アオマツブログ

    詩は世界と世界にあるすべてのものを明示すべきなのである。わたしたちにものを与えるためでなく、わたしたちからそれを奪うために。 -ジャン=ポール・サルトル「マラルメ(1842−1898)」 1.夢の時代、生活の時代 自らの遅れてきた第一歌集で、あつかましくも「短歌はふたたびの夢の時代に入った。」と宣言してみせたのは平岡直子だったが、じっさいのところ、〈夢〉と向かい合って短歌を書くことのできる書き手は、ごく限られている。 そして現在、その〈夢〉とは逆に、〈生活〉は現代短歌の必須アイテムだといっていい。テン年代の短歌を語るキーワードをいくつか選ぶなら、多くの人がそのひとつとして〈生活〉をあげることになるだろう。 もちろん、短歌自体が〈生活〉と密接な関係をもつジャンルであることは言うまでもない。自分の短歌を読ませるための強いカードとして、つねに〈生活〉は重宝されてきた。しかし、この10年の短歌、と

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    pha 2022/06/22
  • 【歌論】佐久間慧と「人称派」 - アオマツブログ

    ☐☐☐ 帰省してから三日経つものの、9時くらいに寝て→18時くらいに起きて、を繰り返してる。この三日間、ゲームのなかで160キロの球を投げて三振を取る、のを繰り返してて、メルカリで買った詩のが6冊くらい溜まってるのに全く読めていない。飲みにいってくれる人とか探してます。最近短歌に飽きて現代詩にハマっており、何でもすぐハマったり飽きたりしてしまうのは悪いところだなと思っているのでどうにかしたい。 以上ちょっとした近況報告でした。 前からずっと興味を持って読んでいる歌人に佐久間慧がいて、その作品についてちょっと書きたい。 以下引用は基的にわせたん、TOMのサイトから。 ☐☐☐ 佐久間慧は僕がさいきん一番好きな歌人で、猛プッシュしたいのに、現在唯一の活動場所と思われる「TOM」の更新が滞ってて悲しい。 TOM もともと早稲田短歌会にいた人。まず少し作品を貼ってみる。 そう、その日のローソン

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    pha 2022/05/18
  • 4、3、2、1、死の装置 - アオマツブログ

    1 生まれてから死ぬまでの限られた時間のうちいくらかを割いて、あなたは今、ここで僕が何かを語りだしているのを見ている。 あなたが人生のなかで読める文章の数は決定的に限られているし、ひとりが死ぬまでに書けることもおそらく限られている。 そういうわけで、僕にはすでに、あなたの限られた時間に対する責任があり、その責任をできるだけ重く受け止めたうえで、僕は、あくまで自分自身の短歌を引用することから、この文章を書きはじめる。 - 数字しかわからなくなった恋人に好きだよと囁いたなら 4 -青松輝「4」(『文學界』2022年5月号) 『文學界』2022年5月号:特集「幻想の短歌」に寄稿した、僕のこの短歌について、まほぴさん(岡真帆さん)が以下のツイートを書いている(嬉しかった)。 『文學界』5月号まだ斜め読みしかできてないのですが、青松輝さんの連作の表題作になってる「4」の歌、めちゃくちゃ好きです。—

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    pha 2022/04/15
  • 【歌論】瀬戸夏子・水泳・わたくし - アオマツブログ

    ☐☐☐ 短歌は水泳のようだと思う。 短歌は水泳のようだと思う。我々は水の中ではうまく動けない。水圧がかかって、空気の中よりも身体が強く縛られるから。だからこそわざわざ水の中へ入っていって、少しだけ浮かぶ部分で息継ぎをして、できるだけ速く、できるだけ遠くまでその縛りから逃げようとする。 短歌は水泳のようだと思う。我々は日々言葉を使うことにちゃくちゃくと、ちゃくちゃくとストレスを感じる。だからそれに対抗するために定型というバリケードを張り、(敗北を決定づけられた?)言葉そのものの不自由さとの戦いに挑む。わざわざ水の中へ入っていって、少しだけ水に浮かぶ部分で息継ぎをして、できるだけ速く、できるだけ遠くまでその縛りから逃げようとする。 短歌は水泳のようだと思う。水泳は、自分に向いていなければやめればいい。21世紀には船がある。地上に水はない。短歌は、というか言葉を生成するのはそうはいかない。言葉と

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    pha 2022/02/21
  • 【歌論】戦う永井祐と穂村弘、世代論でない「ポスト」 - アオマツブログ

    四月になって学校が始まったけど、週二回しか学校はなくてダラダラ日々を過ごしている。サークルの新歓期だから予定はちょこちょこあるけど結構寝ブッチしたりしていて関係各位には申し訳ない限りです。 先週の金曜(4/5)に瀬戸夏子と穂村弘の対談(「現実のクリストファー・ロビン」の刊行記念イベント)を聞きに行って、個人的に現代短歌史のストーリーテラー役を果たしてきた最重要の二人だと思っているのですごい気合を込めて聞いていた。内容はわりと瀬戸さんが穂村さんを質問攻めする感じだったが、僕の敬愛する永井祐の話が出て、穂村弘と永井祐の関係について気付きがあったので小論を書くことにした。前置きが長くてももあれなので文に入ります。 ☐☐☐☐☐ 永井祐は戦う。 ジーンズにシャツでプラットホームから駐車場見ている夏の夜 (『日の中でたのしく暮らす』) たしかに爽やかに佇んでいるが、それはポーズだ。騙されてはいけな

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    pha 2022/02/15
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