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ブックマーク / yamadawataru.jimdofree.com (1)

  • 「貧困の抒情」のために

    ■「現代短歌」2018年3月号掲載。特集「分断は越えられるか」への寄稿。 肥えたまふ父を思へば吾が一生父ほどの俸給をとる事もあるまじ 近藤芳美『早春歌』(一九四八年) たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充してゆく 山田航『さよならバグ・チルドレン』(二〇一二年) 前者は一九三六年(昭和十一年)のアララギの歌、後者はゼロ年代の拙歌で、どちらも二十代前半のときの歌である。「親の収入超せない」というフレーズは大学時代のゼミの担当教授の発言を借りたもので、近藤芳美の歌は知らないまま作った。歌取りではない。このオーバーラップは全くの偶然であり、だからこそ時代を超えて共通の感情が発露されたのだと読まれることもあるだろう。 しかしその類似は表面的なものにすぎない。むしろ表面的に似ているからこそ、その質的な差異を見極める必要がある。「父」と「親」という指し示す対象の違い。「吾」と「僕たち」

    pha
    pha 2021/04/03
    斉藤斎藤って1972年生まれなのか。もっと若いイメージだった
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