教育と効率は本質的になじまない。というのは、効率というのは、「単位時間内の仕事量」を以て考量するものであるが、教育がそのアウトカムを計測するときの時間の幅は原理的に「その人が死ぬまで」というもので、「単位時間」を切り出すことができないからである。 もちろん、無理をすれば単位時間を切り出して(「1時間以内の」とか「一学期以内の」とか「卒業時までの」とか)教育のアウトカムを考量することもできないことではない。 けれども、そこではじき出された数値は、教育を受ける本人にとっても教育機関にとっても、実は何の意味も持っていない。 以前からこの方の教育論には懐疑的なスタンスを取ってきましたが、このエントリを見て確信しました。僕はこの方の教育観には馴染みません。この方の言っていることは「ある教育を行って、それに効果があったかどうかは、すぐに分かるものではないし、いつ分かるのかも分からない」ということです。