ブックマーク / kame710.hatenablog.com (49)

  • 2020.10.13 「もう、乗り遅れても良いだろう。」  - カメキチの目

    久留米じぃじさんという敬愛している方のブログがあります。 先日の記事に 「もう、乗り遅れても良いだろう。」 というのがありました。 このタイトルをひと目見るなりクスッとしました。 (じぃじさん、同じ題名を使ってゴメンなさい) 久留米じぃじさんは身のまわりのことを中心に、感じ、思い、考えたりされたこと 毎日書いておられ、文章の温かさにお人柄がとてもよく感じられます。 (ほぼ必ず「家人」という呼び名でご夫人が登場される)。 たまたま初め頃からの読者であるので、タイトルがちょっと抽象的でも、きょうは こういうことを言わんとされているのかなと想像したらおおかた当たっていました noritomi294.hatenablog.jp ーーーーーーーーーー 乗る相手は「バス」でなく、「時代の波」。 バスなら乗らない手もあり、歩けばいい。 (よけいな話だけど、かつてヒトにもサルと同様、尻尾があったのに使わな

    2020.10.13 「もう、乗り遅れても良いだろう。」  - カメキチの目
    pikoameds
    pikoameds 2020/10/15
    かめちゃん、あそこのブログでのコメ、読んだよ。同感だ。同一人物だからここに書かれていることと同趣旨だね。元気そうで何よりだ。🐸はエラそうだね(笑)。ご容赦。ソロバン上手なの?イヤ、下手だろ笑。分かる
  • 2020.6.1 人生 - カメキチの目

    カメキチの目 人により形はいろいろでも、人生について考え思う ことは誰にもある。 思春期のそれは直球で、「悩む」という言い方がいちばん似あっている(当方も いちおう悩んだ。そのころ読んだはたった数冊だったが、一つにヘッセの 『車輪の下』もあった) 青い悩みの時代は遠い昔のことになったが、 ハゲと白髪がないまぜの、立派な(外見だけ)老人に なっても未だ自問が続いている。 「悟った」という境地にはとうてい至らない。 しかし、至りたい 。 神仏じゃあるまいに。達するはずがない。 しかし自分なりに長く生きてきて、さまざまな経験・体験を積み、学び、 「こんなものだろう…」とそれなりに確信したことは増えた。 (わが人生も先が見えてきたので、至らなくてもどこかで手を打たねば…) 青くさくても、「人生」ということに何かしら 感じ考えさせるところがありそうなには、 いまもって惹かれる。 --------

    pikoameds
    pikoameds 2020/06/03
    そういう日は来ない。こないかもしれない。こない。でも来て欲しい。こさせてほしい。ほしい。人が生きると言うのは欲。全て欲ばかり。とすればどんだけ革命的変革を生じせしめても変わらない。けだしこころが全て
  • 2020.5.29 人生と「物語」 - カメキチの目

    カメキチの目 ずっと前に『人はなぜ物語を求めるのか』 千野帽子 というを読み、「物語」 (ストーリー)という言葉がしこりのように気になっていた。 これ限りの、1回かぎりの自分の人生。 私の「人生物語」という晴れ舞台の主役は、 この自分いがいはあり得ない。 だから「人生舞台」は人の数ほど設けられ、「主役」は人の数ほどいる。 このに出あう前、50代半ばに死んだかもしれない突然の事故に遭ったとき、 むさぼり読んだ仏教のに「人生という舞台では誰もが主人公である」とあった。 決して、通行人AやBではない。 そのときから、自分の周り、つまり「環境」を舞台になぞらえ、 「生きる」ということは「物語」(未完ではあるけれど)を創造していることだと 考えるようになった。 ーーーーーーーーーー 小説テレビドラマの作りは、読者や視聴者を 惹きつけるため、意外性などドキドキさせる見せ場や 緊張シーンをはさみ

    2020.5.29 人生と「物語」 - カメキチの目
    pikoameds
    pikoameds 2020/05/29
    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56595 これ読みました。
  • 2020.5.26 なんでブログを? - カメキチの目

    カメキチの目 「アンタなんで ブログをやっているの?」 と聞かれたら、私はなんと答えよう。 ウ~ン…迷う。 迷いながらも続けている。 迷いながらも続けているのは、次にあげる三つの 理由からのような気がする。 一つ 迷いを打ち消すほどたっぷりとした時間がある 二つ 迷うこと自体を面倒くさがる「老人性惰性」 (あえてよく言えば「生活リズム」)が身についている。 三つ 障害のため横になりたいのだけど、横になって ばかりでは身体に悪いので、少しくらい頑張り椅子に 腰かけ背筋を伸ばし、頭を使わねばと思っている。 したがって、「初志貫徹」、「勤勉」・「真面目」とはまったく関係ない。 (「ヒマつぶし」に近い) したいと思うこと、興味を惹くもの、新たな趣味にしたいと思うようなものが 見つからないだけ。 (そもそも見つけようとはしない、あらためてそういうものを探してみようという 気力はわかない) 意欲のない

    2020.5.26 なんでブログを? - カメキチの目
    pikoameds
    pikoameds 2020/05/28
    なんで疲れるのに(笑)ブログを?/マスク、何処にしてくねん。ウチには来ないよ。悪口言う🐸にはこんのかね(^^)/それともオレ、顔デカいからダメなんかね(^^)
  • 2020.5.15 『私の生きた証は…』①   - カメキチの目

    カメキチの目 『私の生きた証はどこにあるのか(大人のための人生論)』 というを読んだ。 (老いた「迷える羊」《可愛さは全然ない》の私は、いっぺんにこのの題名に 惹かれたのでありました) 著者はH.S.クシュナー というユダヤ教のラビ(牧師のような職)で、 旧約聖書の「コヘレトの言葉」を読みとくかたちで人生の意味を見つける というもの。 とても胸に響いたところがあります。 (きょうはその一つを紹介) ーーーーーーーーーー 年輪と共に知り得る不合理の世界 後半部分、6章「愚者の歩みは闇に」より。 【引用】 人間の理性の限界を尊重することと、理性の入り込めない現実の広大な闇の領域に 対して畏敬の念を持つこと… 〈年輪と共に知り得る不合理の世界〉 二十歳ではわからず、五十歳になってわかることのほとんどは 伝達できないものである。… 二十歳ではわからず五十歳でわかることとは、 お定まりの知識や決

    2020.5.15 『私の生きた証は…』①   - カメキチの目
    pikoameds
    pikoameds 2020/05/18
    生きた証、ここにあり、って言うのはキレイごとか?仏道、ここにあり。お連れあいさんの言葉、我が方も同じ。されど、されど、同じこと言ってる我。お疲れさんと我に言う日々。笑笑。されど我らは生きてる。byかえる
  • 2020.5.12 初夏の花  - カメキチの目

    カメキチの目 身体のためもあるけれど、天気がよいと 散歩したくなる。 散歩の目的は写真撮影も。そっちが主で、身体は従かもしれない。 そこらの畑や民家の庭先、道ばたや空地などの 植物に季節の移ろいを感じ、写す。 「いま・ここ」で写真撮影している自分を意識し、ときどき自分たちの姿、生活、 風景を記録として残そうと、撮る(いまはコロナ。マスク姿も撮った。人が減った 場所も撮った。ドラッグストアの貼り紙「マスクはありません」も撮った) 世の騒ぎをよそに、花は咲く。 花を撮る。このごろは光を意識するようになり、「芸術性」がチラリと頭を かすめるようになった。 (仕事を離れて時間がたっぷりでき、身体が悪いこともあって散歩に目ざめた。 これら二つの条件が揃わなかったら、散歩しなかったに違いない。 草花を愛しみ、撮るということもなかっただろう) ライラック。 和名はムラサキハシドイ(紫沈丁花)。たしかにジ

    2020.5.12 初夏の花  - カメキチの目
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    pikoameds 2020/05/12
    鮮やかな初夏。鳥、花、みんな名前があり個性がある。生きている。人類より前から生き今も子孫たちが生きている。ああ、それなのに、この愚かな利害の世界。愚かなことだ。いきよ、生きよう。死ぬな。死なすな。
  • カメキチの目(2013.10.26 この歳にならんと… ) - カメキチの目

    ♭ おたずねくださり、ありがとうございます ♯ (人目のかた) 「この歳にならないと、わからんもんね」。この前、がふと言った。 そのときのそれが何だったのか?すぐにピンと思い出せない(スマン)。が、そういうことはつねづね私も感じているところであり、「人生のチョイ先輩」として、成功した話(はなかったか)・失敗談・恥ずかしい話などを、若い人が何か感じてくれればいいと思い、これまでも何度か書いてきた(80・90の大先達からは笑われたりお叱りを受けそうだが、いまはいまの歳の男で、障害者でもあるカメキチとして、書いている)。 ところで先日、私はふと「この歳にならないとわからん」ということが気になった。 で、しばらく考えた。 「そりゃー、人はいつだって、その歳で感じたり考える以外ない」。時間枠・年齢枠をとび出すなんてできっこないのである。だから、トキが経って、あとになってから、「ああすべきだった」「

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    pikoameds 2020/05/11
    ここに戻ります。
  • 2020.5.5 「ソクラテス…」「困難と面倒」 - カメキチの目

    カメキチの目 『ゆるく考える』から、きょうは、 ①「ソクラテスとポピュリズム」 ②「困難と面倒」。 著者、東浩紀という人は40代後半です。 このの中のいろいろな話題を読むと、私の世代にはあまりなじみのない 「オタク」や「サブカル」といった文化の言葉がよく出てきます。 いまの社会の中核にある人たちの趣味嗜好、興味関心、ものの感じ方や考え方など (一部とはいえ)それとなく伝わってきます。 ひと言でいえば、のびのびと自由な発想で、物事を決めつけないでみる。 好きなことを見つけ、楽しむ。 「ソクラテスとポピュリズム」は、哲学者でもある 著者が、ソクラテスを現代によみがえらせたような話 だった。 「困難と面倒」は、溢れる情報に支配されがちな 現代社会に生きる著者のような家族や友人知人という 身近な人たちをだいじにする生き方を教えてくれる 話で、とても共感した。 ---------- ① 「ソクラテ

    2020.5.5 「ソクラテス…」「困難と面倒」 - カメキチの目
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    pikoameds 2020/05/09
    かめさん、ありがとうです。僕のコメント欄上手く反映できないんです (涙目)。ゴメン。
  • 2020.5.8 仏像‐祈りと美   - カメキチの目

    カメキチの目 『仏像と日人-宗教と美の近現代』 碧海寿広 という新書を読んだ(仏像の解説書ではありません)。 硬そうな題名ですが、内容はまったくそんなことなかったです。 仏像は、われわれ日人には飛鳥・奈良時代からの 長い歴史をとおして親しい存在だった。 実際はどうだったのだろう(大和朝廷や蘇我氏や藤原一族などの独占物だった?) 昭和の私に仏といえば、子どものとき毎朝夕、仏壇に向かい「ナムアミダブツ…」 と唱える明治の祖母を思いだす。 仏は仏壇で掛物に描かれた絵だったので、立体的な彫像としての意識はなかった (意識したのは修学旅行で奈良・京都の古寺で初めて観たとき)けれど、 いつもそばにあり、親しい存在だった。 仏像は、それまでは信仰の対象物でしかなかったが 近代(明治)に入ってからは美の対象物にもなった。 拝み祈るものから、眺め楽しむものにもなった、 彫刻や絵画として鑑賞されることに

    pikoameds
    pikoameds 2020/05/08
    お久しぶりです。お元気だと思います。突然ですみません。もしよろしければ拙ブログをご覧ください。よろしくお願い申し上げます。http://pikoameds.hatenablog.com/entry/2020/05/08/140540
  • 2019.5.10 『猫も老人も役立たずでけっこう』③ - カメキチの目

    カメキチの目 最終回のきょうは「個性」について。 【引用】 個性を伸ばせとおっしゃいますが… ・「私は私」と思っているということは、「私は情報である」と思っていることと同じです。情報化社会というのは、IT技術の進歩した社会だと思っている人が多いでしょう。とんでもない。人間が自分を情報だと思う社会が情報化社会です。… ・では、その個性とは一体なんでしょうか。私にすれば、そんなものはハッキリしています。人を見れば、みな違う顔、違う身体つきをしているでしょう。血液型だってそうです。それはまぎれもない個性ではないですか。ところが、多くの人が個性とは心だと思っている。心が生み出す、人と違った考え方や行動を個性だと勘違いしています。つまり、意識にこそ個性があると信じている。私だけの思い、私だけの記憶なんて言いますが、そうしたものは他人にとっては意味のないものです。… ・夫婦もそうではないですか。何十年

    2019.5.10 『猫も老人も役立たずでけっこう』③ - カメキチの目
    pikoameds
    pikoameds 2019/05/10
    私=情報=個性、個性=情報➡︎人である必要なし。無誤謬主義➡︎失敗、則ち阿呆。揚げ足取り。共有は個性の敵¿。!個性情報主義は〈安んじて生きる〉ことと正反対ですね。お元気で。南無阿弥陀仏。最後の言葉通じまい
  • 2019.5.7 『猫も老人も役立たずでけっこう』② - カメキチの目

    カメキチの目 ②「そんなに稼いでどうするの?」 初めに【引用】を。 ・今の世の中は、「やってみなきゃわからない」とは言えないんです。そんなふうに答えると、なんて言われるか知っていますか。「そんな無責任な」ですよ。… それは経済中心に考えているから、そうなるんでしょう。だから、「経済ってなんだよ、経済がおまえを生かしているのか?」と言いたくなりますよ。 まるに聞けば「ケイザイ?なにそれ??」って言うでしょうね。… ・あんなに一生懸命働くから金に余裕ができるわけでしょう。嫌というほど経済的な余裕が大きくなるもんだから、あれもこれもとなっていくんですよね。それで、原爆をつくったりミサイルをつくったりしているわけでしょう。何をしたいんですかね、人間って。… ・いい気もちというのは、それは一時的なものでしょう。でも、いい気もちって、悪い気もちがないとわからない。当たり前だけど、相対的なものなんです。

    2019.5.7 『猫も老人も役立たずでけっこう』② - カメキチの目
    pikoameds
    pikoameds 2019/05/08
    面倒な方がおられかめさんにご迷惑お掛けするのはよくないので非公開にしてあります。悪しからず。しばらくさようなら。お元気で。
  • 2019.5.3 臨時総会 - カメキチの目

    カメキチの目 (前に、住んでいる集合住宅マンション》の管理組合理事会の理事になり、会議時間の長さに対する不平不満を書きましたが) 1月に大きな問題が、ふってわいたように起こり、これをめぐってなんどか臨時の理事会も開かれ、ついにこの前、臨時総会開催となった。 臨時総会 は10連休初日の夜であったが、日々の管理・運営に直接かかわる重要な議題であるだけに、(期限のこともあって)この日しかないというタイミングで行われた。 急な開催で はあったが、(委任状が大半とはいえ)大勢の出席者があり、無事に進み(そればかりか、すばらしい意見も出され)、理事会の望んだ結果になった。 1月なかばに突如おこった大問題に、この間(ときにはご自分の勤め先も休んで)奔走された理事長さんはさぞかしホッとされたことだろう。 (私のような採決数に「貢献」するだけの理事でも、「臨時総会が無事に過ぎますように…」と心配しましたが

    2019.5.3 臨時総会 - カメキチの目
    pikoameds
    pikoameds 2019/05/05
    かめさん、ブログの交友範囲広いですね。ご実家が浄土真宗のお寺の方までいらっしゃったです。前のコメント都合で消しました。悪しからず。
  • 2019.4.26 石ころ - カメキチの目

    カメキチの目 「石ころ」というテーマが目にとまったので、Eテレ『美の壺』という番組をみた。 海辺を旅したら、はるかな水平線や潮の干満だけでなく、海岸や砂浜の石ころにも目がいく。 気にいったのを探す。拾う。 (石ころだけじゃもったいないので、貝殻などのお気にいりも探す。これを「ピーチコーミング」と呼ぶことをブログで知りました) 探しても見つからなければ妥協する。 「しかたないか…。まあこれでガマンするか…」 しかたなく拾った石ころでも、じっと見つめているうちに「きれい」「美しい」と思えることもある。 (そうなれば儲けものだが、別にならなくてもいい) 「きれい」でなく「ふつう」でも、ちゃんと記念の役目ははたしてくれる。旅の思いでをひき出してくれる。 拾った後、気をつけなければならないことがある。 拾ったものを「忘れるはずがない」と、そのときは高をくくっているが、帰ってから前の旅で拾った石ころに

    pikoameds
    pikoameds 2019/04/30
    宣伝です。爽風上々さんのブログに行ってみてください。
  • 2019.4.23 未来の他者 - カメキチの目

    カメキチの目 私は記憶力が弱い。 (でも、「覚えがございません」と言うほどの健忘症ではない) を読み、気にいったことを見つけたら覚えておこうと、若いころはその箇所は赤線を引っぱったけれど、いまは時間があるので書く(パソコンに打つ)、写す。 写し書きしたことはコピペで楽に記事に引用できる。 (記憶力の弱さ+低下をパソコンは補ってくれる。議員や秘書、官僚もみんな残らずパソコンを持てばいいのに《あっ、持っていても「記憶にございません」か》) 『夢よりも…』は気にいった部分が多かった。 もう一つだけどうしても記事にしたくなった。 (「トカゲの…」が②だったので、これは③で、最後とします) ---------- 原子力は、武器として使用すれば人類を滅亡させるかもしれないけれど、「平和的に」使えば二酸化炭素も出さず、したがって地球環境にもやさしいエネルギー資源だとされている。 はたして(そもそも)い

    2019.4.23 未来の他者 - カメキチの目
    pikoameds
    pikoameds 2019/04/23
    あかの他人はあかの他人なのか。きっとあかのたにんじゃない。「身内」はなぜ大切なのかなぁ。身内も大切じゃない、そういう日々。じゃあ、自分は。拝読させて頂き、色々思う。お元気で。他人にして他人でない我より
  • 2019.4 .19 トカゲの貧しい世界 - カメキチの目

    カメキチの目 (前回、『夢よりも深い覚醒へ』というから「偽ソフィーの選択」という記事を書いたばかりですがそれを①とし、きょうは②です) 私は、東北大震災、3.11の直接の被害者ではないので、被害に遭った方々の言葉にならない辛さ、苦難を実感できない。 しかし、想像してみる。 同じ目に自分が遭ったら… 大津波に家族や親しい人の誰かが流され、わが家がなくなり、原発事故で故郷を追われたら… 自分が遭わなかったのは、「たまたま」に過ぎない。 遭ったのも遭わなかったのも、必然性はない。 同じめに遭遇したとしても、それぞれの体験は違う。災害の受け方も、受けとめ方も。 (初めにこんなこと書いたのは、「トカゲの貧しい世界」という項目で、著者大澤さんが述べておられることが強く感じられたからです) ---------- ハイデガーという哲学者は学校で名前を聞いたくらいで、老いたいまになってまた聞くことがあろう

    2019.4 .19 トカゲの貧しい世界 - カメキチの目
    pikoameds
    pikoameds 2019/04/19
    人間が生きている、そして認識する、さらに思惟するということはおそろしいことだ。思惟。事後という概念自体に元々事後性があるのかもしれない。今日もありがとう。今日も、いまいまこの時、お元気で。あなたを愛す
  • 2019.4.16 「3.11以降の哲学」 - カメキチの目

    カメキチの目 私も思春期の初めころは(初めだけ)麻疹に罹るみたいに、「自分」とは?「生きる」とは?といちおう悩んだ。 人生訓(マニュアル)のをいくらか読んだ。 しかし、ほとんど「素直」「誠実」…礼賛ばかり。学校の道徳の延長にすぎなかった。 考え方・心のありかた次第で人生・世の中は変わる、 曲がっていては世の中のすばらしさがみえない。 私の性根を責められているようで、「説教」に思え、そのうちウンザリし、読まなくなった。 (ふり返れば、そのころから社会に反発するようになった。自分のいたらなさを《直接には》他人のせいにしなくて「社会」のせいにした。 確かに自分の心はまっ直ぐではないが、世間の方に自分を合わせる、不合理で汚い社会に自分を合わせるのはイヤだった。「素直」=「従順」としかとらえられない未熟者だったわけだ。老いた今、多少は変わってもあまり変わらない) そのご触れるようになった哲学。

    2019.4.16 「3.11以降の哲学」 - カメキチの目
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    pikoameds 2019/04/16
    こんばんは!拝読しました。読後感というかかめさんへの手紙を近く僕のブログに書きますね。
  • 2019.4.12 桜 - カメキチの目

    カメキチの目 桜を写していたら、あらためて思った。 なんでもそうであるように、背景(まわり、環境)もいろいろで、しかもそれぞれにもれることなく光があたっている。そうして、(写真のばあいは)一枚いちまいがあるのだということを。 (人間も一人ひとりに家族があり社会があって、陽もあって。それらに照らされて自分の人生があるということも) ちりとてちん

    2019.4.12 桜 - カメキチの目
    pikoameds
    pikoameds 2019/04/12
    こうけいありしさくらびと何処にさくとも
  • 2019.3.15 禅語「応無所住而生其心」 - カメキチの目

    カメキチの目 応 無 所 住 而 生 其 心 「オウ・ム・ショ・ジュウ・ニ・ショウ・ゴ・シン」と、いかにも禅の言葉らしく音よみできますが、 意味は訓よみ、「応(まさに)住する所無(の)うして其(そ)の心を生かすべし」です。 『金剛般若経]という経典にあるというから「オウムショジュニ・ショウゴシン」と(「ナム・アミダブツ…」のようにリズムをつけ)自己暗示するように唱えるのがきき目ありそうです。 説いていることは、「空」や「無」、つまり予断、偏見をもつことなく、またひとところにいつまでも「住む」「とどまる」「執着する」のではない、そんな新鮮な心でいたい。 要は『般若心経』の有名な「色即是空」「空即是色」を具体的な行動にあたっていかした言葉という感じ。 ーーーーーーーーーー 生きているといろいろなことがあり、「喜怒哀楽」にとらわれる。 とらわれまいとして目を瞑っていてもダメである。 つねに自分が

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    pikoameds 2019/03/18
    我笑笑如何。漢文になっとらんね(笑)
  • 20193.1 ブログに気をつける - カメキチの目

    カメキチの目 2.19の記事の終わりに追加で書いたことを、自分の今後のブログへの姿勢・態度のこともあり、反省しながら考えてみました。 不快な出来事は、ブログ世界(SNS一般)というものを考えさせざるをえなかった。いままで「他人ごと」ですんでいたことがわが身に起きたのです。 「他人」でなく「自分」のことになったといっても、まだ「しょせん現実世界での出来事ではない」のですが、考えさせらる経験でした。 何かを言う、伝える、発信するとは、受けとる側があって(あると想像して)のこそ。 そこは(いくら文章表現に気をつけても)「誤解」が避けられない場合があることを痛感した。 今は、読んで共感の印、☆をつけるだけでとどめればよかったたなあとすごく後悔しています。☆だけでなくコメントをしていた(一方的ではあっても「Bコメント」が使えればよかったのですが、私は「はてなブログ」から禁止されているので使えません)

    20193.1 ブログに気をつける - カメキチの目
    pikoameds
    pikoameds 2019/03/02
    お疲れ様です。拝読しました。私へのメッセージありがとうございます。私もかめさんと同様な事態ですから、公開しませんがご了解下さい。お元気で。私は元気です!ありがとう。
  • 2018.12.25 修行 - カメキチの目

    カメキチの目 中学生のとき、教師によくいわれた。 「わからない言葉があったら辞書をひいて調べよう」 「面倒くさくてもそうしよう」と そんな昔もすでに、教科書にあわせた参考書(通称「虎の巻」)はありました。 (いちいち辞書をひかなくても、苦労して調べたり考えなくても、「先生、教えてください」と頭をさげなくても、「虎の巻」は一発で正解がわかる) 「いいものがある」「〇〇も持っている」と親(とくに母)にうまいこと言って買ってもらったことがあります。 【余談】 「ラク」という魅力には勝てない。学校の勉強も同じ。 しかし、ラクして身についたものはラクに忘れます。 (そのことがわかるのはずっと先、大人になってから) 子どもに「ラクはダメだよ」と説教してもダメだと思う。 しかし、「ラク」の反対、「辛い」と大人が感じることでも(それを「ラク」とまでは思わなくても)子どもにはあまり抵抗のないこともありそうで

    2018.12.25 修行 - カメキチの目
    pikoameds
    pikoameds 2018/12/28
    最近は調べられるから、いくらでもイイですよね。でも調べないヒト大スギ。自戒。