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2020.5.8 仏像‐祈りと美 - カメキチの目
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2020.5.8 仏像‐祈りと美 - カメキチの目
カメキチの目 『仏像と日本人-宗教と美の近現代』 碧海寿広 という新書本を読んだ(仏像の解説書では... カメキチの目 『仏像と日本人-宗教と美の近現代』 碧海寿広 という新書本を読んだ(仏像の解説書ではありません)。 硬そうな題名ですが、内容はまったくそんなことなかったです。 仏像は、われわれ日本人には飛鳥・奈良時代からの 長い歴史をとおして親しい存在だった。 実際はどうだったのだろう(大和朝廷や蘇我氏や藤原一族などの独占物だった?) 昭和の私に仏といえば、子どものとき毎朝夕、仏壇に向かい「ナムアミダブツ…」 と唱える明治の祖母を思いだす。 仏は仏壇で掛物に描かれた絵だったので、立体的な彫像としての意識はなかった (意識したのは修学旅行で奈良・京都の古寺で初めて観たとき)けれど、 いつもそばにあり、親しい存在だった。 仏像は、それまでは信仰の対象物でしかなかったが 近代(明治)に入ってからは美の対象物にもなった。 拝み祈るものから、眺め楽しむものにもなった、 彫刻や絵画として鑑賞されることに