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ブックマーク / gamemusic.blog50.fc2.com (8)

  • ゲームミュージックなブログ 『超絶大技林 2011秋』のゲーム資料としてのお役立ち度がスゴすぎる件

    もう10年も前になりますが、自分がとあるゲーム会社でバイトをしていた時、調べ物を頼まれたのですが、その時に手渡されたのが『大技林』という電話帳(最近なくなってきてるみたいですが)のように分厚い。これは徳間書店からわりと昔から刊行されていたで、「技」という名前通り、ゲームの裏技系が一挙に集められているです。  しかしこのの真価は、ファミコン以降のそれまで市販されているゲームの大半を網羅しているという点。ファミコンから始まりバーチャルボーイ、PC-FX、ネオジオポケット、3DO、ワンダースワンのデータもしっかりあります。それらのメーカー、発売日、価格、ジャンルなども掲載されているので、裏技がそこまで関係ない人でも資料として非常に重宝されていたのですね。  しかし、長い間発行されていなかった大技林ですが、最近12年ぶりに復活しました(まあ似たようなのが「広技苑」というので別の会社から数年

  • ゲームミュージックなブログ 倒産したゲーム会社いろいろ

    ちょいと仕事が立て込んでいて、更新停止気味です。すみません。ただエイプリルフール企画が最新エントリーというのも何なので簡単に更新ということで。  さて、とうとう4月になり、新しい年度となりました。町では新入生や新社会人が希望に溢れて頑張っていることでしょう。  しかし、その反面、この4月の上旬というのはそんな希望とは真逆のものが溢れる時期でもあります。それは倒産の告知。つまり3月の年度末決算だった会社が山を越せず2度目の不渡りなどを出してしまい、そのまま倒産というパターンが多く、会社や工場の入り口にそれの破産申立の告知と、管財人の連絡先を書いてある張り紙が貼ってある風景も見ることがあります。ましてやこの不況下では、その数も増え、そしてその倒産による取引企業先の資金繰りも悪化し、連鎖倒産となることもあるでしょう。  なるべくなら見たくもないそのテのものですが、残念ながら過去、ゲーム業界でもそ

  • ゲームミュージックなブログ ファミコン時代にナムコブランドとして出された他社制作のソフト

    もう二十年以上昔の話になりますが、実はファミコン時代にはサードパーティ、すなわち任天堂及び任天堂直下の会社以外は年間に出すソフトの数に制限が加えられていたというのをご存じでしょうか。これは任天堂の方針で、供給過剰や粗製濫造を起こさせないための対策だったと言われています。  しかし、ファミコンに早期から参入したサードパーティは、その初期ライセンス企業の優遇処置として数制限なし、自社ラインで生産可能等といったメリットがあったようです。その対象企業はハドソン、ナムコ、、タイトー、コナミ、カプコン、ジャレコの六社。  しかしそのうち、ナムコはその特権で他社の制作したソフトを自社のブランドで出し、ライセンス料をもらうという方法を始めます。  この後、これの問題から優遇処置打ち切り、そして裁判沙汰にまで発展して、任天堂とナムコの関係が悪化していったと言われています。ちなみにこの時のゴタゴタが後を引

  • ゲームミュージックなブログ 考えると『バルーンファイト』はものすごい豪華スタッフが集結した作品だったという話

    今週はあちこちで横井軍平さん関連のエントリーを書いているので、ここでも当然書きます。  ■関連:ゲームミュージックなブログ・SIDE B 横井軍平さんはある意味コンシューマギャルゲーの祖でもあるという話  ■関連:横井軍平さんの開発したものは『ドラえもん』にも影響を与えていた - 空気を読まない中杜カズサ  ※あと、日曜にはTimestepsでも関連エントリーを書きます。  さて、今の学生さんにはあまりに馴染みのない話かもしれませんが、子供の時に初代ファミコンで遊んだ世代としては、印象に残っているソフトというのがあります。その中でも鮮烈な思い出として残っているのは、『スーパーマリオブラザーズ』以前のファミコンソフト。この頃は手元で操作することで、画面の中のものが動くというだけで感動でした(ちなみにスーパーマリオでその操作する楽しさが究極までいきついてしまったため、その後ちょっとファミコンソ

  • ゲームミュージックなブログ 昔、ゲーム制作者がほとんど表に出ることの無かった理由

    現在、ゲーム雑誌を見れば、ほぼ必ずと言っていいほど開発者のインタビューが載っています。メーサーサイトやゲームニュースサイトにも、そういった開発者のコメントが載っていることは普通で、毎日のようにブログで更新されることもよくあります。そして、エンドロールだけではなく、マニュアルにも携わったスタッフが掲載されることや、インタビュー、コメントが収録されることも多いですね。しかしながら昔を思い返してみると、そういうものってほとんどなかったのですよね。ましてや、マニュアルに名前が載らないどころか、スタッフロールもない場合も多々ありました。  さて、このように開発者が目立たなかった理由というのは、様々あると思います。ちょっとそれを列挙してゆきたいと思います。 ■ゲームクリエイターの地位が社会的に低かった  昔は正直、あまりゲームクリエイターの地位が高くなかった時期があります。当時ゲームクリエイターになる

  • ゲームミュージックなブログ ドラクエに隠された創意工夫

    先日『ゲーム攻略サイトはゲームの面白さを損なうのか』において、『おとなのしくみ』に掲載された堀井雄二さんのインタビューについてちょっと触れましたが、それが非常に興味深いものだったので、今日はそれについて取り上げたいと思います。    これは、2000年当時『ファミ通』誌上に連載されていた鈴木みそさんの『おとなのしくみ』で取り上げられたものです。内容は、『ドラゴンクエストⅦ』を発売前にしてみそさんが堀井さんにインタビューをしに行くというものなのですが、みそさんと堀井さんが昔からの知り合いで、15年ぶりに会ってのことなので、かなりフラットに会話が進みます。  ちなみにマンガにもちょっと書いてありますが、堀井さんが駆け出しのライター時代に投稿誌『OUT』誌上でコーナー連載をしていて、それに投稿していたのがみそさん、さらに『週刊少年ジャンプ』誌上で堀井さんが「ゆう帝」として活躍していたのとほぼ同時

  • ゲームミュージックなブログ 近藤浩治氏以外も層が厚い任天堂サウンド開発陣

    このゲーム業界では、80年代から活躍していて今でも現役という人は数多くいます。それはつまり家庭用ではファミコン、PCなら88など、そしてアーケードならまだ不良の溜まり場というイメージが多くの人から抜けきっていなかった時代からゲームに携わっていた人。そしてそれはゲーム音楽の作曲家でも同じことで、例を挙げればすぎやまこういち氏(もっともこの方はすでに作曲家などの経歴がありましたが)や植松伸夫氏、古代祐三氏や崎元仁氏、細江慎治氏や小倉久佳氏等々。そして多くの方は途中ゲーム音楽バンドブームなどもあり、わりと知名度もあります。  しかし、ゲーム音楽において忘れてはいけない重要な存在で、数々の名曲を生み出しているにもかかわらず、ほとんど表に出てこないゲーム作曲家さんたちも存在します。そのうち代表的なのが任天堂のサウンドチーム。  これを思ったのは、『大乱闘スマッシュブラザーズX』での曲リストを見ていた

  • ゲームミュージックなブログ ゲームにおける目立つ技術と目立たない技術〜ムービーとロード時間

    ちょっと前にはてなのほうでこんなエントリーを書きました。  ■目立たない技術の方が難しいのに、アピールポイントにならないということ   http://d.hatena.ne.jp/nakakzs/20070223  要約すると、実は携帯電話の表面的な目立つ機能を向上させるよりも、通信速度やバッテリーといった目立たない(広告的アピールがしにくい)もののほうが向上させるのが難しい。しかし目立たない故に販売的な面からそれらは置き去りにされてしまうという話です。  これは携帯電話のことなのですが、途中、同じことがゲームにも言えるんじゃないか?と思い、ちょこっとだけ書いておきました。それは以下の通り。  このへん、ここ10年のゲーム機と構図が似ているような気がします。ムービーとかは一時期かなり流行ったけど、ロード時間を感じなくするほど短縮するためには10年かかったというところが。  ここ10年という

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