些細といえば些細なことなのだけれど、その些細なことが気になって、何度も振り返って思い出しては落ちこんでしまい、落ちこむたびに自信をなくしてしまうということを繰り返してます。 「自信が持てる自分に変わりたい」というのが今思っていることで、どうすれば自信が持てるようになるのかなぁ。成功体験を増やしていくことかなぁ。
はてなのトップに出てた体罰についての記事読んで、すっごいモヤモヤした。 体罰の効果についてとか、体罰を全否定することは必要かとか、そういう視点で、体罰について反対か賛成かっていう考え方が書かれてた。 この記事に対してだけのモヤモヤじゃないから、リンクはしないけど。 体罰について、こーやって、「賛成か反対か」「否定か肯定か」「必要悪か絶対禁止か」「効果があるかどーか」っていう考え方に基づいた意見をいろいろ見る。 その時も、いつもモヤモヤする。 えー、「体罰」なんて言葉使ってるけど、それ、「暴力」じゃん。 あざが残ったり血がでたりしなくても、一発だけでも人のカラダ叩いたら、それ、「傷害」じゃん。 「犯罪」じゃん。 なんで、それを、反対か賛成かとか、効果についていろいろ考えちゃうの? 殺人だったら、そー議論されないでしょ。 だれかを殺すのに、賛成か反対か、とかって。 だれかを、殺しちゃったほーが
知らない間に、面識がない7人と養子・養親の縁組を繰り返したように戸籍が変更されていたとして、東京都内の建設業の男性(57)が、縁組の無効確認を求めて東京家裁に提訴し、19日に第1回口頭弁論が開かれる。 相手方7人のうち1人は死亡、4人の連絡先は不明で経緯も分からない。男性は戸籍謄本を他人に渡した覚えがなく、「気味が悪い。早く本当の戸籍を取り戻したい」と話している。 訴状などによると、男性は戸籍上、2001年7月に北区の男性(69)と初めて養子縁組したことになっていた。その後、05年までの4年間に、都内と千葉県の男女4人の養子となる一方、都内と栃木県の2人の男性の養父にもなる縁組がなされていた。これに伴い、名字も5回変更されていた。 男性が各自治体に提出された縁組の届け出を確認したところ、書類の筆跡は7枚とも異なり、どれも明らかに男性と食い違っていた。第三者が男性と偽って勝手に届け出たと見ら
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/09/18(水) 17:02:34.23 ID:Yz7Y4r2a0 9月20日に発売を控えた「iPhone 5s」の指紋認証機能「Touch ID」に、はやくも脆弱性が発見されたようです。 その方法を分りやすく解説した画像がこちら。 http://touchlab.jp/2013/09/iphone5s_touch_id_securiy_hole/ iPhoneオワタ 9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/09/18(水) 17:05:17.02 ID:ESB86Iuw0 ワロタ 7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/09/18(水) 17:04:35.67 ID:SDFtR8Pe0 こいつは悪そうな顔してやがるぜ 2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
「言いにくいけれど言わなきゃいけないことを言う」のは物凄く大事です。どんな場面でもそうだけれど、特に仕事の場合そうです。 それは何故かというと、「言いにくいこと」というのは大抵の場合何かの問題を孕んだものであって、問題は公開して対処しないと、時間をおけばおく程必ず傷口が広がるから。 例えば、「自分の担当範囲の進捗が遅れている」ということは言いにくいです。けれど、始めの内なら人員を増やしたり担当分野を勘案したりして対処出来ることでも、遅れを公開しないでいればいる程、対処する為の余裕は少なくなります。残り数日、というところで大幅な進捗遅れが判明した時の阿鼻叫喚は言うまでもありません。 例えば、「自分の担当範囲で大きなミスをした」ということは言いにくいです。けれど、ミスをすると大抵の場合他の業務に影響が出るような問題が発生しますし、すぐにそれがバレなかったからといって黙っていると、問題はどんどん
金銭の概念は残るが、仕事/勉強をせず遊ぶだけの人で溢れる。趣味だったり、贅沢、権威、人気、革命、知識を得たい一部の人は仕事/勉強をする。この2種類の人間の二極化が進む(人口は堕落側が圧倒的に多いだろう)。堕落した側の人間はいわゆる勉強はしないが、社会の維持のため道徳的な勉強だけは学校で行う。堕落者と勤勉者とでは能力が著しく異なるため住む場所が分けられることになる。堕落地域の衣食住はロボットによる均一的(不平不満が起きないようにするため)で面白みに欠ける社会となる。一方、勤勉地域の衣食住はロボットに頼らない個性的かつ生産的な社会となる。人口は増加の一途。土地は無くなり双方の活動範囲が狭くなる。すると、お互いを嫌悪しだし、小さな争いが起きるようになる。それを火種として第3次世界戦争へ突入。堕落側は人口は多いが能力が無いため徐々に制圧され滅亡に近い状態になるが、生き残った何人かはレジスタンス軍と
同じ悩みを多くの真面目な学生さんが持たれ、このエントリを見ていることを期待して書き込みます。 私は今社会人ですが、学生時代に同じ悩みを持っていたことがありました。参考になればとおもい書きます。 アルバイトか社員かの違いはカタチの話まず、学生時代のアルバイトが必ず社会経験として役に立つかは確実ではないとおもいます。 役に立つかどうかは、アルバイトかどうか=雇用形態よりも、そこで業務として何を任されるかによって決まります。 大抵の業務は、「あらかじめ約束したことを決まった時間・コストの範囲以内に完了させることで誰かに価値を返す」という経験になります。 この経験は、したことがあるかないかによって、自分の、まわりのひととの付き合い方、時間の使い方、巻き込み方に大きな影響を与えるものになり得ます。早かれ遅かれ、この経験は人間社会で暮らすすべてのひとが通るものです。 再掲:「あらかじめ約束したことを決
「学生のうちのバイトは社会経験になる」 なんて言葉が最近話題だし、この言葉に従ってバイトする友人が周りに多くて気になる。 高校時代カフェなんて行かなかったくせに急にカフェバイト始める奴、都内のたっかい私立に通ってるくせに毎日バイトしてる奴なんてザラにいる。しかもそういう奴に限って「大学に入って勉強するなんてバカじゃん」とかいってくる。 しかし本当に学生のうちのアルバイトは社会に出て役に立つの? 「遊び呆けてるよりマシ」って言うのは分かる。でもただでさえ大学生が勉強しないことが問題になってるくせに、この言葉を免罪符としてアルバイトし、ためた金を使って遊び呆けるんじゃ本末転倒では? 「社会人になると、知ることの出来る世界が減ってしまうんだよ」なんてお説教もされたことがある。 しかし大学生のアルバイトで知れる世界っていうのは、そんなに社会全体の縮図なんですか。自分が見知ったほんのわずかな部分で世
TBS番組に「方言札の再来」「差別行為」 沖縄出身・二階堂ふみ「方言禁止」企画が物議...広報「歴史的背景を十分検討できておらず」
【石飛徳樹】日本映画の好調を引っ張ってきたスタジオジブリの宮崎駿監督が引退を表明した。宮崎アニメはなぜメガヒットしてきたのか。なぜ今やめねばならないのか。ポスト宮崎時代の日本映画はどうなるのか。興行の側面から宮崎引退を考えた。 ■作品優先・ロングランで 2000年以降のジブリ作品は、宮崎作品以外もすべて、その年の日本映画で1位の興行収入を上げた。鈴木敏夫プロデューサーの功績は大きい。「僕の宣伝は正攻法」と鈴木さんは言う。過去には「宣伝しない宣伝」を唱えるなど、奇をてらっているようだが、世間が盛り上がっていれば宣伝せずに飢餓感を高めるし、今回はその反対。理にかなっている。 略 公開中の「風立ちぬ」の興行収入が11日、100億3千万円に達した。日本映画で100億円を超えたのは8本目。 うち5本を宮崎作品が占めた。しかし鈴木さんは喜んでいない。まだ採算ラインに届いていいないのだという。 「製作に
舟運でにぎわう阿賀野川…英国の旅行家イザベラ・バードが146年前に見た風景に思いはせ 新潟阿賀町で町歩きイベント、雁木巡りやボート遊覧など楽しむ
入れ墨(タトゥー)問題は、橋下徹大阪市長の発言から盛り上がったが、入れ墨の消去をめぐる裁判では、入れ墨での通学を事実上拒否した専門学校側が違法性を指摘された。一方、海外では“芸術”として扱われることもあり、デンマークでは国際タトゥー祭りも開かれている(AP) 入れ墨の消去指導はセーフ、だが就学拒否は行き過ぎでアウト-。専門学校の元生徒の男性(34)が、学校法人「モード学園」(大阪市北区)を相手取り、入れ墨消去をめぐる学校側の対応の是非を法廷で争った。「約5カ月以内に入れ墨を消せなければ、休学」という学校側が示した条件に対し、男性は「通学しながらの治療」を申し入れたが拒否され、休学、ひいては除籍処分となった。訴訟で学校側は「入れ墨の消去を要請しただけだ」と正当性を主張したが、今年3月の1審大阪地裁判決、同9月の2審大阪高裁判決はいずれも「消去を指導したのは正当だが、手術を受けながらの通学を認
この文章は体罰断固反対派の人間がお届けしていますこの文章は体罰断固反対派の人間がお届けしていますこの文章は体罰断固反対派の人間がお届けしています。 浜松日体高校バレー部顧問体罰動画の反響を受けて http://togetter.com/li/565220 読みましたー。 繰り返しますが僕は体罰には断固反対です。僕がひたすらに一方的に殴る権利と僕が絶対に殴られない権利が一生涯保証されるなら少しは心も揺らぐかもしれませんがなにぶん僕はゴジラでもガメラでもないので何だか俺が殴られてもオッケーな空気が秋口の高い空とともにやってこない根拠はどこにもありませんので、そしてそれは僕の子どもにも友達にも平等にそうなので、であれば体罰はどんなケースであれ駄目だよねという風潮がお風呂の汚れのようにいつだってこびりついて鬱陶しい社会に生きたいなと僕は思っています。 そんな体罰断固反対派の僕の勝利条件というものは
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