タグ

ブックマーク / gitanez.seesaa.net (7)

  • 人の身体が織り成す形: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ランスロット・L・ホワイトは、『形の冒険―生命の形態と意識の進化を探る』というのなかで、物質、生命、精神というものの謎を、科学的に解く際に必要な視点として、物理学や生物学、脳科学といった各専門分野に分かれたバラバラの見方ではなく、より統合的な視点による考察が必要であろうと1954年に書いています。 その統合的な見方において重要であろうと、ホワイトが考えているのが「形態形成プロセス」。 物質にせよ、生命にせよ、精神による思考や認知にせよ、結果として生まれる固定した形を中心に考えるのではなく、それが形成されてくるプロセスやその仕組みについて考察することで、カテゴリー間でバラバラに捉えられ、それゆえに解けなかった謎が、それまでとは異なる統合的なアプローチで解けるきっかけが得られ

  • 体験を支える情報アーキテクチャ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 タイトルから想像いただけるとおり、昨日の「情報アーキテクチャのデザイン」の続きです。 今日は「体験」というキーワードから考えを進めてみようと思います。 情報アーキテクチャというのは、人びとがものや世界に接する=体験する際のインターフェイスの構造・骨格にあたるものです。体験・コミュニケーションを通じて味わうことになるインターフェイスのストラクチャであり、スケルトンです。もちろん、この構造や骨格がきちんと設計できていなければ、人びとの体験やコミュニケーションは無残なものとなる確率が非常に高くなります。 ところが、この大事な要素である構造や骨格というものを、物事の表面しかみない人にはみえていなかったりします。そういう人はたいてい、構造の設計、骨格の設計もなしに表面やスタイルをデザ

  • 自分が見たこと・聞いたことをちゃんと言葉にできるようになるために: DESIGN IT! w/LOVE

    言語は人間心理を起動させるソフトウェア。そのソフトウェアが弱ってしまっているんですね。 見聞を言葉にすることがへたくそになっている松岡正剛さんも千夜千冊でこのデリック・ドゥ・ケルコフの『ポストメディア論―結合知に向けて』を紹介する文章のなかで、 「見聞」という言葉が示しているように、われわれはいつも見たり聞いたりしている。しかし、実はそれ以上にしょっちゅう触ったり、味わったり、嗅いだりもしている。 ただ、そのことを言葉にすることがすっかりへたくそになっている。そして、いやあ、言葉にならないことって、いっぱいあるんだよというふうに嘯(うそぶ)くのだ。が、これは大まちがいだ。 と書いています。 下手くそになったのは僕らの言葉にする技術が落ちたこともありますが、言葉そのものの弱体化という原因もあるはずです。 その言葉の弱体化は何を原因としてはじまったのか。 田中優子さんが『江戸の想像力』で書いて

  • DESIGN IT! w/LOVE

    台風12号の上陸とともに読みはじめたメルヴィルの『白鯨』3巻を、先日の台風13号の上陸を前に読み終えた。 終わり近くで、エイハブ船長率いる捕鯨船ピークオッド号もまた台風に巻き込まれるのを台風13号の訪れを前にしながら読み進め、3巻合計1200ページ強を12日かけて読み終えたのだった。 読みはじめたばかりの頃に別の場所でも「鯨の語源」という記事で書いたが、この『白鯨』という小説、所謂「小説」と思って面らう。小説でもあるが、百科全書的なのだ。 ヨーロッパ中世というのは実におもしろい時代だと思う。 そのことは1つ前の「中世の秋/ホイジンガ」でも紹介したが、今回紹介するジョルジョ・アガンベンが『スタンツェ―西洋文化における言葉とイメージ』で描く、中世の人々の思想世界もなかなか興味深い。 例えば、「中世の心理学によれば、愛とは質的に妄想的な過程であり、人間の内奥に映し出された似像をめぐるたえまな

  • 遊びに関するメモ。: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 遊びとグループワークの関係が気になっている。 特に、ひとつの組織のなかで仕事として行うワークショップと、自由に応募してきた所属もバラバラの参加者がワークショップでのグループワークでの仕事の仕上がりが違う点が気になっている。 どちらができがよいと思いますか? 実は後者のほうなんです。 特に、2回開催させてもらった「ユーザー中心のユーザー中心のWebサイト設計・ワークショップ」のグループワークはうまくいっている。 これは何故か? ひとつには単なる共同作業とコラボレーションの違いを考えていく必要があるだろうな、と。違う眼で同じものを見るから創発が生じる可能性があるのであって、何人集まろうと同じような眼でみてたら、ひとりで作業するのとあまり変わらないか、それ以下になるんだと思う。

  • テキスト情報過多の時代に人は何を感じるか: DESIGN IT! w/LOVE

    いまの時代って、もしかたら単純に情報過多というよりもテキスト情報過多といったほうがいいのではないのかなんて思います。 言い方を変えると文字情報過多。さらに言い方を変えると、一人の人間が摂取する情報全体の割合のなかで占める文字情報の比率がもしかしたら高くなっているんではないかと思います。 「方法依存症」というエントリーでは、方法論の情報収集ばかりを行う割には、自分でその方法を試してみてそこからのフィードバック情報を自分で活かすことが少ない人を方法依存症という風に仮に呼んでみました。 ただ、それは方法論の話に限らず、もっと一般的な話としてみた場合でも、テキスト化された情報の収集には熱心な割に、自分で何かを実際に体験してみて得られる生の情報を役立てるということが相対的に少なくなっているのではないかと思うんです。 純化された情報自分で体験してみて直接情報を得るよりも、誰かがテキスト化した情報を間接

  • 人的資源の生態学的問題: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、このブログのエントリーの人気の傾向ははっきりしていて、歴史系・民俗学系のエントリーはことごとく無視に近い状態にある一方で、「読解力」だとか「問題解決」だとか、「行動力 」、「フレームワーク思考」などといったライフハック系とも呼べるようなキーワードが含まれるエントリーには割と恒常的に人気があるように感じられます。 こうした傾向は以前からあって、昔のエントリーでも「粘り強さ、継続性」とか「アウトプット速度」とか「PR下手で損してる」とか「」なんていうフレーズがタイトルに入っていると人気は得やすいようです。 これらの問題は単に個人レベルだけの問題なの?人気はないよりあったほうが書くモチベーションも上がるが、かといって人気を得るためにそうしたエントリーばかりを書こうという風に

  • 1