川崎憲次郎の活躍は90年代のヤクルトスワローズの黄金期に欠かせないものだ。現役を退き現在の活動に至るまで乗り越えてきたた道のりは、まさしく「土壇場」の連続だった。 「巨人キラー」として知られ、1990年代のヤクルトスワローズ(以下、ヤクルト)黄金期を支えた川崎憲次郎は、中日に移籍後の2004年に現役を退き、現在は野球解説者として活躍しながら、彼の故郷でもある大分県の魅力をさまざまな形で発信している。 いくつもの怪我を乗り越えて、日本シリーズのMVP(1993年)や、最多勝と沢村賞(1998年)獲得などの栄光を手にしたプロ野球人生。それらを成し遂げるために乗り越えてきた「土壇場」のエピソードを語ってもらった。 巨人ファンの野球少年が巨人キラーになるまで 大分県・津久見高校のエースとしてチームを春夏2度の甲子園に導いた川崎は、1988年のドラフト1位でヤクルトスワローズに入団し、プロ野球選手と