2016年4月3日のブックマーク (2件)

  • 乃木坂46の新曲にみる、秋元康の“仮想敵”とは? サウンドの特徴から分析

    参考:2016年03月21日~2016年03月27日のCDシングル週間ランキング(2016年04月04日付)2016年04月04日付 今週のシングルランキング1位は、乃木坂46『ハルジオンの咲く頃』。初週75.0万枚を売り上げ、前作『今、話したい誰かがいる』を上回って自己最高のセールスを記録した。 『紅白歌合戦』にも出場し、デビュー4年で人気アイドルグループとしての座を盤石にしつつある乃木坂46。グループのイメージとしては“躍進“から”安定“へと徐々に移り変わっていきそうなものだが、少なくともセールス面ではまだまだ上昇気流が続いていることを示した形と言える。 というわけで、今回の記事ではこの「ハルジオンの咲く頃」の楽曲を分析していきたい。というのも、実はこの曲、かなり意図的なバランス感覚でダンス・ミュージックを換骨奪胎したサウンドになっているのである。 この「ハルジオンの咲く頃」は、グルー

    乃木坂46の新曲にみる、秋元康の“仮想敵”とは? サウンドの特徴から分析
  • 「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログ

    すでに旧聞になると思う。というか、そうなるのを待っていた面もあるし、考えていたらそうなってしまったという面もある。話題は、れいの、と言ってもいいだろう、「保育園落ちた 日死ね!」ということだが、私が気になっていたのは、「日死ね」という表現だった。そう言うべきだったのだろうか? 言葉狩りがしたいわけではないが、これが仮に「中国死ね」や「韓国死ね」という表現であったら、ヘイトスピーチになるのではないか。なのになぜ、「日死ね」ならそういう問題にならないのだろうかと疑問に思ったのである。 おそらく日人なら「日死ね」と言ってよいという暗黙の前提があるのではないだろうか。だとすればそこで疑問が続く、日人なら「日死ね」と言ってよいのだろうか? あるいは、日人なら「日死ね」と言えるという特権のような意識があるとすれば、それは何に由来するのだろう? その特権を支える正義はなんなのだろう? 

    「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログ
    planetes
    planetes 2016/04/03
    最初はその言葉の強さに眉をひそめたけど「しょうがないか」と頷いた人はおそらく多いんじゃないかと思う。「死ね」という表現でしか動かないような状況をこれまでに作り上げた連中の方が悪いに決まっとる。