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2024年6月20日のブックマーク (2件)

  • James Chance この年齢にしてエンターテイメントを追求する男

    残念ながら、ショービジネス界はJames Chanceという人物を理解できていないでしょう。ところがどっこい、彼はショービジネスをきっちり理解しています。ウィスコンシン州で生まれ、70年代後半に、マンハッタン・アベニューの月125ドルの部屋に辿り着いたChanceは、間違いなくロウアーイーストサイドのベストドレッサーでした。というのも、まず音がシャレオツ。当時の音楽シーンにまったく欠けていたジャズやファンクに対する皮肉ではない愛を、茶目っ気たっぷりのユーモアも加えながらシーンに吹き込んだのですから。彼のバンドCONTORTIONSは、ノー・ウェーブのコンピレーションアルバム『No New York』(プロデューサーはBrian Eno。でもChanceに言わせれば「プロデューサーなんかじゃなかったね。ただのフィールドワークってとこだろ」)の参加を経て、TELEVISIONの『Marquee

    James Chance この年齢にしてエンターテイメントを追求する男
    plank
    plank 2024/06/20
    いいインタビュー
  • 『そのレシピが生まれた訳』:エリックサウス稲田俊輔さんに聞く、食べても腑に落ちなかったミールスをメニュー化した理由|玉置標本:私的標本

    『そのレシピが生まれた訳』:エリックサウス稲田俊輔さんに聞く、べても腑に落ちなかったミールスをメニュー化した理由 南インドの定『ミールス』をご存知だろうか。カレーのようでカレーではない、ごはんとおかず数種類(野菜がメイン)のセットメニュー。 日でミールスが気軽にべられる店といえば、十店舗以上を誇る「エリックサウス」が有名だ。肉が主役のカレーに慣れ親しんできた日人にはベジの魅力が伝わりにくいであろうミールスで、あえて勝負をしたその経緯を、総料理長である稲田俊輔(イナダシュンスケ)さんに伺った。 インタビューの場所:エリックサウス マサラダイナー神宮前 稲田さんとミールスとの出会いーー稲田さんがミールスと出会ったのはいつ頃ですか。 「2000年代の前半だったと思うんですけど、岐阜でタイ料理を中心とするエスニックカフェみたいなお店をやっていたんですね。 そこに元バックパッカーのスタッフ

    『そのレシピが生まれた訳』:エリックサウス稲田俊輔さんに聞く、食べても腑に落ちなかったミールスをメニュー化した理由|玉置標本:私的標本
    plank
    plank 2024/06/20
    ミールスは私もありがたがって食べているものの、ライタを含め2〜3個苦手なものが必ずある(カミングアウト)