アジア・サッカー連盟(AFC)は8日、男子のロンドン五輪アジア最終予選B組でアラブ首長国連邦(UAE)を破ったイラクの勝利を☆(刈のメが緑の旧字体のツクリ)奪し、UAEが3−0で勝った扱いにすると明らかにした。昨年11月27日の試合で、イラクは警告累積で出場停止だった選手を出場させて2−0で勝った。イラクは7千スイスフラン(約60万円)の罰金も科された。(ロイター=共同) [ 共同通信 2012年2月8日 21:01 ]
「タケフサは、左利きのイニエスタ」 (1/2) バルサのカンテラに加入した久保君の“インテリジェンス” 日本人の少年が、FCバルセロナのカンテラ(下部組織)に加入――。まるで漫画のような話だが、現実の出来事だ。おとぎばなしの主人公の名前は、久保建英(くぼ・たけふさ)。日本人で初となる、FCバルセロナの下部組織に加入を果たした10歳の少年である。 事の始まりは、2009年に日本で行われた「FCバルセロナキャンプ」だった。これは日本のAmazing Sports Lab Japan社が企画したもので、現地バルセロナスクールコーチの指導を、日本で受けられるというものだ。久保君は8歳の時にこのキャンプに参加した。そこですぐに、「すごい子どもがいるぞ」とコーチの間で話題になり、キャンプで最も優秀な選手に送られるMVPを獲得。その特典として、バルセロナのスクール選抜の一員に選ばれ、ベルギーで開催され
【ロンドン時事】北京五輪の陸上男子100メートルと200メートルの金メダリスト、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が5日、英BBC放送のラジオ番組で、将来的にサッカー選手への転身を考えていることを明らかにした。 ボルトはイングランド・プレミアリーグ、マンチェスター・ユナイテッドのファンとして知られる。「プロのサッカー選手になれると思う。守備的もしくは攻撃的MFで」などと語った。 ボルトは9秒58の世界記録を持つ100メートルで、「おそらく破られることはないだろう」という9秒4を目指すとし、4年後をめどにサッカーに転身したいとした。 【関連記事】 ・ 【動画】サッカー日本代表、新監督就任会見 ・ 【特集】W杯2014スター候補〜本田、スアレス、エジル〜 ・ 【特集】欧州サッカー選手名鑑〜W杯後の注目プレーヤー〜 ・ 【会見詳報】サッカー日本代表新監督 ザッケローニ氏 ・ 駒大、
兄・興毅とともに日本ボクシング界初の兄弟世界王者を目指す、亀田家二男・大毅による「WBA世界フライ級タイトルマッチ」が7日、兵庫県・神戸ワールド記念ホールで行われた。大毅にとっては07年10月、09年10月に続く3度目の世界チャレンジ。前回クリンチの多用と巧みなインサイドワークの前に惜敗した、王者デンカオセーン・カオウィチットに再び挑んだ。 デンカオセーンは前回の試合同様、今回もクリンチを多用。大毅を下がらせていきながら攻勢を取らんとする。これに対し大毅は前後にステップを踏んでジャブを突き、たびたびクリンチに捕まる場面も見られたが、辛抱強くこらえ大きく持ち崩すことをしない。 序盤はデンカオセーンが押していく展開が目立ったが、中盤からは離れ際の左フックや逆に連打を見舞うなど大毅が攻勢を取るようになり、6Rにホールディングでデンカオセーンに減点1が与えられると、流れはいっそう大毅に傾いてい
2月の代表4連戦。2日のベネズエラ戦を終えた日本代表は、中国、香港、韓国との東アジア選手権に臨む。早いもので、2003年にスタートしたこの大会も今回で4回目。日本、韓国、中国と持ち回りで開催され、ついに一巡して日本での2度目の開催となった。とはいえ、大会の歩みは決して順風満帆だったわけではない。03年にはSARS(重症急性呼吸器症候群)騒ぎで開催が一時延期。08年には、男子の日本対中国の試合で中国の選手がラフプレーを連発し、ネット上では「もう日本は、こんな大会に参加すべきではない!」という憤怒の声が殺到した。いわゆる「冷凍餃子問題」とも絡んで、大げさでなく、国際問題にまで発展しかねない状況であったと記憶する。 政治的にも経済的にも、そして歴史的にも関係が深い国同士の対戦ゆえ、試合が必要以上にヒートアップするのは、やむを得ない部分はあるだろう。それでも、あくまでもスポーツなのだから、フェア
アブダビ滞在9日目。FIFAクラブワールドカップ(W杯)2009は、16日も前日に続いて準決勝が、ここザイード・スポーツシティで行われる。この日のカードは、北中米カリブ王者のアトランテと、欧州王者FCバルセロナの顔合わせ――というよりも、大会の真打であるバルセロナの登場、といったほうがすっきりだろう。 準決勝に先立ち、17時からはオセアニア王者オークランド・シティとアフリカ王者マゼンベによる5位決定戦が同会場で行われた。バルセロナの前座試合に組み込むというアイデア自体は決して悪くはない。が、その開催日時については、いささかの疑問符が付く。何と、水曜日の17時キックオフ。いくら当地の人々が暇そうにしているとはいえ(この国では面倒な労働のほとんどは出稼ぎ外国人がやってくれる)、平日の夕方からサッカー観戦する人は極めてまれである。実際、試合直前になっても、スタンドのほとんどが空席のまま。その後
帰らぬ人となったエンケ。ドイツサッカー界は悲しみに包まれた【Bongarts/Getty Images】 かつてバルセロナに在籍し、2004年からハノーファーでプレーしていたドイツ代表のGKロベルト・エンケが10日の現地時間18時25分、ハノーファー北部にある自宅付近で列車に跳ねられ死亡した。 ドイツサッカー協会(DFB)の定例会に参加していた同クラブのマーティン・キント会長も、突然の凶報を帰りの空港で受け「何が起こったのか全く分からないが、サッカーと関係がないことだけは確かだ」と驚きを隠せない様子だった。 また元ドイツ代表で、現在DFBの役員を務めるオリバー・ビアホフ氏もこの悲痛な事実を受け、「われわれは皆、言葉にならないくらいに打ちひしがれている」と悲しみをあらわにすれば、同協会のテオ・ツバンツィガー会長も、「われわれはこの知らせに絶望している。今は残された家族のことが心配だ」と肩
後半に3点を奪われオランダに完敗。日本のハイプレスは70分前後が限界だった【Photo:YUTAKA/アフロスポーツ】 試合開始前の2時間半前、午前11時30分にオランダ戦が行われるアルケ・スタディオンに到着。すでに会場の周りはオレンジ色のレプリカユニホームを着たオランダサポーターが続々と集結していた。さっそく手当たり次第に、今日の予想スコアを聞いてみる。10人に聞いた結果は「3−0」と「2−1」が3人ずつ、あとは「4−0」「3−1」「2−0」「1−0」が1人ずつ。もちろん全員が自国の勝利を予想していた。オランダの得点が意外と少ないことについては「やっぱりフレンドリーマッチだから」。では日本の得点者は誰かと聞くと全員が「本田(圭佑)」と答えていた。 「間違いなくウチが勝つけど、日本が点を決めるとしたら本田だろうね」というのが、どうやらこの国における模範解答らしい。もっとも、得点者として本
元東京ヴェルディのFWエルサムニー・オサマが所属するチェコ1部リーグのテプリツェは3日、国内カップ戦で2部のウスティと対戦し、4−1で勝利した。オサマは試合終了間際の86分に公式戦初ゴールを決めた。 けがから復帰したオサマは83分に途中出場。3分後には右からのセンタリングに左足で合わせ、チェコ1部リーグで日本人初となるゴールを決めた。 オサマは試合後、「昨シーズン終盤でのけがからやっと復帰して、初戦でのゴールだったのでなおさらうれしいです。けがで出遅れた分、これからも点を取り続けてクラブに貢献したいです」と初得点の喜びを語った。 [ スポーツナビ 2009年9月4日 17:11 ] 前後の記事 - [欧州サッカー]オランダ女子代表が快進撃 欧州ベスト4の快挙 - 9月04日 18:21テプリツェのオサマが公式戦初ゴール=チェコ1部 - 9月04日 17:12林がプリマスへ アストラと
「僕たちはバルセロナだ」。マンチェスター・ユナイテッドのレプリカを着ながらそう言い張る子供たち。治安が問題の南アフリカだが、人の魅力も捨てがたかった【中田徹】 2週間半前、「無事生きて帰れますように」と祈るような気持ちでヨハネスブルクの空港に降り立ったのだが、どうやら何事もなく大会を終えることができそうだ。 決勝戦のキックオフまで約2時間というころ、メディアセンターの中ですっかり僕はリラックスし、暇つぶしの相手を探し出す。すると「中田くん。アクレディテーションがないよ!?」と、突然友人記者に指摘された。 選手、役員、ボランティア、メディアら、大会関係者の全員が首からぶらさげているのがアクレディテーション。これが僕のパスホルダーからこつ然と消えていたのだ。 盗まれたのか? 落としたのか? お金やカメラなら分かるが、メディアセンターの中でアクレディテーションを盗む意味はない。しかしパスホ
第5回 スペインを破った米国の「ひたむきさ」(6月24日@ブルームフォンテン) (1/2) 宇都宮徹壱の日々是連盟杯2009 南アフリカ滞在5日目。この日はヨハネスブルグのオリバー・タンボ空港から国内線に乗ってブルームフォンテンに向かった。飛行時間はおよそ50分。車でなら、およそ5時間。何とも微妙な距離であるためか、ヨハネスブルグからの便数は極めて限られている。従って、乗客のほとんどは今夜のスペイン対米国を取材、あるいは観戦する人々だろう。機内では、元スペイン代表のフェルナンド・イエロ、そして元浦和レッズ監督のホルガー・オジェックといった懐かしい顔を見かけた。 やがて機内の窓からは、赤茶けた大地が顔をのぞかせた。何というダイナミックな風景なのだろう。これからサッカー観戦するのではなく、むしろ秘境を探検に行くような気分である。飛行機を降りると、あまりの外気の冷たさに思わず鳥肌が立った。
サッカーのワールドカップ(W杯)に44年ぶりの出場を決めた北朝鮮代表のFW鄭大世が19日、羽田空港に到着し「(W杯が)決まった時には理性も吹き飛んで泣き叫んだ。信念を貫けば報われることが分かった」と熱い口調で喜びを語った。 凱旋(がいせん)した空港ゲートには報道陣やファンら約300人の人だかり。言葉に詰まって涙を流す場面もあり「夢みたい。日本と韓国と北朝鮮の懸け橋になりたいと思っている。3カ国ともW杯に行けるなんて、これほどうれしいことはない」と感激もひとしおの様子だった。 [ 共同通信社 2009年6月19日 22:22 ] 前後の記事 - [サッカー] 体力低下…中沢、浦和戦欠場か - 6月20日 10:10 稲本が仏1部レンヌへ サッカー元日本代表 - 6月20日 1:24 鄭大世が凱旋 44年ぶりのW杯出場 - 6月19日 22:24 移籍の基本規定を正式承認=サッカー協会 -
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