タグ

ブックマーク / sk-44.hatenadiary.org (7)

  • 例の件 - 地を這う難破船

    身元バレを騒ぎ立てる神経がわからん。 たとえばfinalventさんの実名経歴は半ば公知のことだが、私がそれを書き立てないのは、氏に対するリスペクトが理由でも、「言行一致」が理由でもない。プロフィールに明記されていないこと――それが氏の意思だから。それを尊重することはネットマナー以前の問題と私は思っていたが。finalventさんのことを蛇蝎のごとく嫌っている(言い過ぎ)「はてサ」の誰が、氏の実名経歴を言挙げたろうか。以前に、氏のダイアリのコメント欄でそれを書き立てた人があったことは知られているが、それが「はてサ」に該当する人物か私は知らない。「庇う」とかそういうこと以前の問題だろう、これは。 経営者であること、「人を使う立場」にあることは、彼の人は公言していた。労働問題についても「経営者の責務」「人を使う立場にある者の責務」という観点から発言していたし、そのことを自認してもいた。敗残兵か

    例の件 - 地を這う難破船
    plummet
    plummet 2009/11/25
    これまた関連だがあんまり意味はない|ある種、「何を言ったか」的な立地点?
  • 敵がいなけりゃはじまらない - 地を這う難破船

    タイトルはB'zの名曲から。 ⇒はてなブックマーク - はてな 議論をすることと喧嘩を売ることは違います。そして両方を要する問題意識が存在する。「喧嘩を売る」は私的行為なので、つまりコミュニケーションorディスコミュニケーションなので、ディスコミュニケーションとして帰結することは致し方ないとして、その私的行為が「ブックマーク」というインターフェイスを介することの意味を知らないはずもなし。擬似的な抗争の様相を呈することの意味についても。問題は、知的な対立と同時に擬似的な抗争が要請されること。存在する「政治」を敵対性において可視化させるために。 今回削除要請された人たちが議論をしていたことは疑いえない。議論が相互的な対話として成立しなかったのは「喧嘩を売ってきた」ことが理由ではない。「喧嘩を売ってきたから議論を断念した」と削除申立の当事者が説明していることは、主観の問題であって経緯の説明として

    敵がいなけりゃはじまらない - 地を這う難破船
    plummet
    plummet 2009/08/11
    チョー今更、俺のブクマコメに反応されていることに気付いたが、なに言いたいのかサッパリ伝わってきませんでしたとさ。半年ほど前だから前提状況とかカンペキに忘れ果てたな。なんだっけ。
  • 自由の核心にあるもの - 地を這う難破船

    些か応答が遅れて申し訳ありません。更新の時間が取れませんでした。 ⇒ロクでもないけどこれしかない - 地下生活者の手遊び ■ まず第一に、国がマンガの美術館を作るということは何ら不自然ではない。すでにある国立の美術館に並んでいる芸術作品と同じくらいの気合で、我々はマンガを描いている。国立のマンガ美術館、やれるものならやってください、でも無理でしょう? というのが僕の考えだ。 アート全体にも言えることだが、マンガの中には政府や政治家にとって都合の悪いもの、眉をひそめるようなものがたくさんある。そういうものがほとんどだ、と言ってもいいくらいだ。国や政府が保護したり育成したりバックアップできる代物ではない。 例えば非常にエロチックなもの、あるいはくだらないもの、「くだらない」とくくられるもの、そんなマンガがすべて、国の建設した建物の、劣化を防ぐために空調が完備された部屋の棚にズラーッと並べられ

    自由の核心にあるもの - 地を這う難破船
    plummet
    plummet 2009/07/03
    冒頭の浦沢直樹。エログロ小説だって国会図書館に所蔵されるんだから、ああまで言うのは漫画を卑下しすぎているか、その逆か、どっちだろうか。
  • 「隠喩としてのガザ」 - 地を這う難破船

    ⇒エルサレムと表現 - 地を這う難破船 承前。mojimojiさんの率直な言葉に、少しレスしたく思います。 ⇒僕はパレスチナに用がある。他にどんな理由がいるんだ? - モジモジ君のブログ。みたいな。 (前略)村上春樹の自由と自律を擁護する人々に聞きたいが、あなた方が擁護する自由と自律は、そこを追われた人々の、そこで押さえつけられる人々の、当たり前の日常を暮らす自由を、踏みつけにしなければ実現できないものなのか。そうでしかありえないのならば、そんな文学など、いらない。 私が「村上春樹の自由と自律を擁護する人々」かはわかりかねますが、もちろん村上春樹の自由と自律は擁護さるべきです。ガザ地区に暮らす人々の自由と自律が擁護さるべきことと同様に。当然のことではないですか。ニッコリ(白い歯を輝かせて)。 ――こういうのを欺瞞の極みと言います。自由と自律を剥奪された人々がパレスチナに存在する。そのことを

    plummet
    plummet 2009/02/04
    このエントリと直接関係ないが、このところの「ブログ上での議論」が、本来あるべきテーマではなく、そのテーマで議論するための前提(共通認識)をどうするのか、ということだけで燃え上がっているように見える。
  • なぜ、それがアートであるか――Chim↑Pomの『ピカッ』をめぐって - 地を這う難破船

    ⇒http://d.hatena.ne.jp/knakano/20081024 ⇒http://d.hatena.ne.jp/miminoha/20081026/1224958014 まったく擁護する気も起きなかったしその筋合もないけれど(私は彼らの活動のあまりよい受け手ではない)、miminohaさんの真摯な怒りに応えたく思ったので、ちょっと書いてみます。 個人的には不快に感じます*3が,芸術としての評価は完成まで措きます。Chim↑Pomが「被爆者の気持ちを理解しきれていなかった」と謝罪し,展示を自粛したため期待は薄れましたが,まだ遅くないのでぜひ開き直り,後づけで構わないので謝罪まで含めたアートと言って欲しいところです*4。 作品は未だ制作過程にあり,Chim↑Pom によって撮影された素材すら表に出てはいない段階で,記事と市民の撮影した写真を元に芸術である,と断定している方がとても

    なぜ、それがアートであるか――Chim↑Pomの『ピカッ』をめぐって - 地を這う難破船
    plummet
    plummet 2008/10/27
    現代アートとはかくもヨノナカに守られた存在であったか。
  • コミケット.「襲撃」をめぐって - 地を這う難破船

    以前の記事。 ⇒今更ながら、「アキハバラ解放デモ」について - 地を這う難破船 現在。 ⇒『アキバデモ実行委員会コミケ襲撃未遂事件(仮)』に関して - 想像力はベッドルームと路上から ⇒6・30アキハバラ解放デモ主催によるコミケテロ まとめ - アットウィキ ⇒【速報】やっぱ内ゲバだったみたい。 - やまざき(’A`)のボンクラ日記(コメント欄も) ⇒http://d.hatena.ne.jp/plummet/20070818 ファイル、閲覧しました。 私は、今回、批判を被っている「デモ運営陣」の「当事者」とは、この件について、言葉を交わしたことがない。その気にもならなかったうえ、mixiアカウントは放置している。この件に関して、該当公開トピの確認はしていた。接触がなかったのは、furukatsuさんとも。はてなにおいてニアミスすることもなかった。唯一、inumashさんを除いて。 事実関

    コミケット.「襲撃」をめぐって - 地を這う難破船
    plummet
    plummet 2007/08/22
    ほとばしるものがある。|現場の人などの尽力に言及してもらえたのはうれしいことだ。その人たちに汗をかかせてしまった俺ではあるが、感謝。
  • 今更ながら、「アキハバラ解放デモ」について - 地を這う難破船

    ⇒「イデオロギーの敗北」と「趣味の勝利」〜取りあえず、「アキハバラ解放デモ」を全肯定しておこう〜 - 想像力はベッドルームと路上から ⇒「アキハバラ解放デモ」への批判に関する雑感。 - 想像力はベッドルームと路上から 趣旨に、ほぼ全面的に、了解のうえ同意です。現代的な「デモ」のスタイルとその意義についても。私には既知の文脈です。しかし。 1. 今回の一件に対する反撥の要因は、主催者側が「オタク」「アキハバラ」を任意の政治的なスタンスへと接続したことにある、と私は考えています。言い換えるなら、inumashさんの記している政治的/歴史的な文脈に、「オタク」「アキハバラ」という象徴的にして価値的な「概念」を接続することに不快を示す人が在るということで、それは正当で妥当なことと、私は思います。 但し書き。「オタク」に学問的な定義は付されていない。「内部」において定義の合意がなされているわけではな

    今更ながら、「アキハバラ解放デモ」について - 地を這う難破船
    plummet
    plummet 2007/07/18
    私信的文章。3は俺と同じことを言っておるな。いや全体的に近いことは近いのか。『歴史的な文脈に対して疎く無理解』ってところはアレだが。そのような評価を与えるにも値しない、というのが俺のスタンスだな
  • 1