ごまかすな。自民党と統一教会の結びつきはないんだろ。それじゃ「自民党は統一教会と手を切るべき」という日本語は何を意味してるんだ? https://t.co/ell48m7Lff
![池田信夫 on Twitter: "ごまかすな。自民党と統一教会の結びつきはないんだろ。それじゃ「自民党は統一教会と手を切るべき」という日本語は何を意味してるんだ? https://t.co/ell48m7Lff"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c8eb18df070fef289b02b4926486c8b283cb9e9b/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F1553937132959694848%2F6WfxIZUn.jpg)
ウィキペディアはインターネット上で最も大きなウェブサイトの一つだ。ウィキペディアに書いているというだけで、真偽不明の情報でもどんどん拡散されていく。もし間違った情報の場合、ウィキペディアによってデマが拡散されることになる。そして、全国紙など、「信頼できる情報源」のはずのものが、このウィキペディアの情報を基にして記事を書いてしまう。ウィキペディアにデマが書かれる→それを基にして信頼できる情報源が記事を書く→これがウィキペディアに出典として追記される、という順番で、デマがあたかも正しい情報かのように書かれる。出典のある情報は信頼できると思われるので、誤情報だったとしても、ますます真実として拡散されていく、という悪循環が起こる。 経緯実際にそのような事態が発生した、紫雲丸事故の記事を例に見ていく。紫雲丸事故は、1955年、修学旅行中の小学生を乗せた国鉄連絡船が沈没し、100人以上の罪のない命が
社会学者の古市憲寿氏(37)が8日、フジテレビの情報番組「めざまし8(エイト)」(月~金曜前8・00)に出演。政治家と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関係について言及した。 【写真】鑑定留置のため奈良西署を出る山上徹也容疑者 番組では自民党の福田達夫総務会長が「何が問題か、僕はよく分からない」と発言したことや、現役閣僚として末松信介文部科学相、岸信夫防衛相、萩生田光一経済産業相、二之湯智国家公安委員長らが次々と旧統一教会と関わりを指摘されていると伝えた。 古市氏は「政治家って本当に票集めのためだったら何でもする人たちだと思う。だから当然、宗教とも付き合うし、ほかのいろんな組織とも付き合うと思うんです」と指摘。そのうえで「ただやっぱり思うのは、この1カ月間、一部凄い報道がヒートアップして旧統一教会批判が起こってますけど、もちろん旧統一教会の批判すべきところは批判すべきだし、犯罪行為に対し
ネットでは定期的に西村博之氏が、過去の賠償金を踏み倒したことと、それが理由でパリに逃亡しているという説が流れる。 このことについて現在もガーシーがひろゆきのことの同じ穴のむじなだと批判している。 www.sponichi.co.jp またN国党の立花党首もひろゆきの賠償金を支払わないためにパリへ逃亡していると批判をおこなっている。 この件については、僕自身も実際のところを一番よく知っている人間の一人だと思うので、この機会に、ひろゆきの賠償金未払いとは本当は一体どういうことだったのかを書いてみようと思う。おそらく、世の中にまだ出てないことも書く。 まず、これはひろゆき自身も書いていることだが、パリに住んでいることと賠償金未払いというのは全く関係ない。 ひろゆきがパリへ移住したのは、賠償金の支払う義務が時効により消滅してから後だ。ひろゆきは現在も年に数回か日本に帰ってきている。もちろん日本に帰
18歳の女子学生と飲酒したと週刊誌に報道され、自民党を離党した吉川赳衆院議員の議員辞職勧告決議案が与党や日本維新の会の反対により、廃案となりました。 立憲民主党が吉川赳衆院議員について、「もはや有権者の信を失い、衆議院議員として活動ができる状態ではない」として、議員辞職勧告決議案を提出していましたが、自民党や公明党、日本維新の会は5日、「議員の身分は重い。辞めるかどうかは本人の判断」などを理由に決議案の採決に反対し、廃案となりました。 今年6月、通常国会でも立憲民主党は吉川氏の議員辞職勧告決議案を提出していましたが、自民党が採決に賛同せず、審議が行われませんでした。 一方、吉川氏は女子学生との飲酒疑惑について、これまで「今後の裁判との関連も含めてコメントは差し控える」としてきましたが、5日の本会議に出席した際も、記者団の質問に対し、「先日お答えしたとおり」と繰り返し、自身の言葉で説明を行う
戦後77年の夏を迎えた。 毎年この時期になると、自身の生き方を見つめ直すためにも先の大戦に関する書物をひもとくことにしている。新しい書物もあれば、随所に赤線の引かれた書物もある。 以下の特攻隊員の遺書も、何度も読んで胸に刻んだ一文だ。 正憲 紀代子ヘ 父ハスガタコソミエザルモ イツデモオマヘタチヲ見テイル。ヨクオカアサンノイヒツケヲマモッテ オカアサンニシンパイヲカケナイヨウニシナサイ。ソシテオオキクナッタナレバ ヂブンノスキナミチニスヽミ リッパナニッポンヂンニナルコトデス… 特攻のための特攻昭和20年5月に沖縄で散華した陸軍第3独立飛行隊、久野正信中佐(享年29)が、当時4歳の息子と2歳の娘に書き残したものだ。 2年前から沖縄で単身赴任をしている筆者にも、浪人生の息子と高校生の娘がいる。だからなおのこと身につまされるのかもしれない。「リッパナニッポンヂンニナルコトデス」は、筆者自身にも
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く